生というものがある。生野菜、生ビール、生卵など、我々の食卓には「生」が割と並ぶ。もちろんローストビーフや温泉卵のようなちょっと生っぽいみたいなものも存在する(厳密には違うけど)。生は我々に幸せをもたらしてくれる。美味しいから。
では、この生に完全に火を通したらどうなのだろう。美味しくなるのだろうか。間違い無く言えるのは食中毒のリスクが低くなるということ。ということで、生のものに火を通して食べてみようと思う。
森鴎外の衛生学
スーパーに行けばお刺身やお寿司などが並んでいる。生で食べて問題ないということだ。また果物も多くの場合、生で食べる。皮をむいてそのまま食べるので、生で食べているわけだ。海外の人に驚かれることもあるが、我々の生活には生が溢れているのだ。
ただ私は「生」の危険性をよく知っている。とてもよく知っている。なぜなら海外で2度、食中毒で入院しているからだ。海外では生魚、生肉はもちろん、生野菜も生果物も命取りになる。生は危険と身をもって知っているのだ。
森鴎外の長女の森茉莉が書いた『貧乏サヴァラン』という本に森鴎外の話が出てくる。そこには森鴎外はドイツの衛生学に凝り固まっているとある。その結果、森家では基本的に生果物は食べなかったそうだ。
梨を生で食べるのは当たり前と思っていた。子供の頃から生梨を食べてきた。しかし、森家では違った。梨や桃など普通なら生で食べられる果物も、必ず煮てから、砂糖をかけて食べたそうだ。衛生学的にはそれがいいのかもしれない。
梨を10分ほどお湯で煮てみた。おでんの大根のような柔らかさになった。フロストシュガーを梨に振りかけて食べてみるとその美味しさに驚いた。生で食べるよりも美味しいのだ。高級なホテルのスイーツみたい。コンポートに近い感じだ。
森家では生果物を煮るくらいなので、お刺身なども火を通して食べることがあった。醤油とお酒で薄味で煮るそうだ。お刺身は確かに怖い。特に私の家には冷蔵庫がないので、さらに倍の怖さなのだ。煮てみようではないか。
驚くのだけれど、私は煮た方が好きだった。お酒のおかげで魚の生臭さがなくなり、風味もよい。お正月のような厳かな風味なのだ。栄養価としては火を通すことで低くはなるが、消化はよくなる。なにより美味しく安全ということが素晴らしい。
茹でたり、焼いたりしよう!
生のものに火を通すことで美味しくなることがわかった。しかも、食中毒のような心配もなくなるので衛生学的にもありなのだ。ということで、いろいろな生や低温調理、または塩蔵で保存性を上げた、生っぽいものに火を通そうと思う。
温泉卵、ローストビーフ、生ハム、生野菜、生ビールを準備した。どれも確かに生っぽい。それが売りのものたちだけれど、火を通す。完全に火を通す。赤い部分を無くすのだ。茹でて火を通したバージョンと、焼いて火を通したバージョンを作る。
用意した食材をそれぞれ茹でたり、焼いたりした。生のものに火を通すという背徳感にゾクゾクする。生ハムは茹でても赤みが残ることや、焼くとベーコンのような匂いがするという発見もあった。何事もやってみることが大切だ、といういい話にしようと思う。
茹でると全体的に小さくなることがわかる。体を鍛えている人の食事のようだ。また焼くとアメリカの朝食のような感じになった。これはこれでありだ。次は生ビールにも火を通そう。
ホットビールである。沸騰させないことがポイント。ヨーロッパに行った際にホットワインのように、ホットビールも売っていた。これが美味しかったので、今回作ってみた。砂糖を入れるのがポイント。苦味が消えて美味しくなる。
食べてみるぞい!
これで全ての準備は整った。生を、あるいは生っぽいものに火を通した。気になるのは味だ。栄養価的には落ちているかもしれないけれど、今の時代、別にここから栄養を取らなくても他のものから取れる。安全で味さえよければいいのだ。
もはや生という部分はないので、ハムと言ってもいいのかもしれない。味の方は茹ではヘルシーな感じだ。塩気が抜けて食べやすい。焼きの方はベーコン。これベーコンよ。カリカリな感じなどハムではなくベーコンだ。
茹でたものはさすがにパサつきのようなものを感じた。逆に焼いたものは、最高に美味しい。これ普通のローストビーフより美味しんじゃないの? ってくらいに美味しい。脂がいい感じに熱で溶けて、口の中でとろけていく。焼きローストビーフは最強だ。
温泉卵に関しては、茹ではゆで卵、焼きは目玉焼きということになった。別に驚きの変化はなく、そうだよね、めんごめんご! という感想。味もゆで卵の味だし、目玉焼きの味。これなら温泉卵から作るのではなく、普通の生卵から作っても結果は同じだ。
ともにシナっとなって食べやすい。生の時の緑臭さが若干抑えられているように感じる。逆にシャキシャキ感も若干なくなっている。味としては茹でも焼きもそんなには変わらない。ちなみに私はメキシコでは生野菜で食中毒になっている。それからは、野菜にはぜひ火を通したい派なのだ。
ホットビール、これは美味しい。私はお酒に強くないのだけれど、飲んでしまう感じ。甘さとシナモンがいい感じにビールの旨みを引き出している。ビールではなく、ティーと呼びたい。上品な感じなのだ。もっとも普通に酔うけどね。
森鴎外は刺身を煮ていたので、私は焼いてみることにした。お寿司には「炙りサーモン」などがあるように、焼くのもありなのだ。ということで、炙りではなく、完全に焼いた。食中毒の心配はこれでないだろう。
これ正解。もともと私が寿司の「炙りシリーズ」が好きなのもあるけれど、香ばしく、さらに生臭さは皆無となり美味しい。これはありだ、と思ったけど、これって焼き魚とご飯を一緒に食べているだけなのでは、という疑問も浮かんだ。それについては深く考えないようにしたい。
火を通して行こうぜ
食中毒が怖いことや、『貧乏サヴァラン』を読んで、梨を煮たことで、火を通すと美味しくて安全なものが生まれるかも、ということで実際に試してみた。確かに梨や刺身、ビールやローストビーフは美味しかった。茹でローストビーフはあれだったけど。生で食べると思っているものでも火を通すと美味しくなることもある。食の常識を変えていけたらと思う。いま偉そうなことを書いたけど、うちに冷蔵庫がないから、安全のために火を通しておこう、という発想なのだけれど。
著者プロフィール
地主恵亮
1985年福岡生まれ。基本的には運だけで生きているが取材日はだいたい雨になる。2014年より東京農業大学非常勤講師。著書に「妄想彼女」(鉄人社)、「インスタントリア充」(扶桑社)がある。
Twitter:@hitorimono
Source: ぐるなび みんなのごはん
生ハムやローストビーフに完全に火を通す