友人に誘われて半世紀以上前のインドシナ料理を習ってきた。インドシナとは1887年から1954年までフランスの支配下にあったインドシナ半島東部の地域。現在のラオス、カンボジア、ベトナムである。
宗主国であったフランスや東南アジアで強い力を持つ華僑の影響を受けつつ、南国特有の豊かさに支えられた伝統的なインドシナ料理。たとえ現地を訪れたとしても、もはや味わうことが難しいであろう古典的家庭料理は、インドシナならではの食材と丁寧な手仕事によって、私がかつて経験したことのない味わいを与えてくれた。
都内で学べる古典インドシナ料理
今となっては貴重なインドシナ料理が学べるのは、園健(そのけん)さんと田中あずささんによるインドシナ文化を紹介するユニット、アンドシノワーズ(Indochinoise)による料理教室。1日1組の完全予約制だ。
インドシナ料理のレシピ本「旧フランス領インドシナ料理 アンドシノワーズ」も出版している2人組ユニット。
アンドシノワーズはインドシナを示すフランス語の形容詞。指定された場所は都内某所(住所は非公開)の雑居ビル。
階段を登って中へと入ると、料理教室というよりもジャングルクルーズの案内役のような園さんが待っていて驚く。そして室内に漂うインド料理やタイ料理の店とも違う独特の華やかな香り。確かにここはアンドシノワーズな空間だ。
園健さんと田中あずささん。ここの雰囲気がすごくいいんですよ。
本日習う料理は2品。まずは「カンボジア式肉と根菜ハーブの炒め煮(チャークルーン)」から。チャーは炒める、クルーンは生ハーブで作るペーストという意味。
この料理で習う工程のほとんどはクルーン作り。炒め物だけでなく、煮物、焼き物、揚げ物など広範囲に使える、カンボジア料理の万能ソースだ。
ただし作り方さえ覚えれば、いつでも手軽に作れるというものではなかった。だがそれがいい。
この記事に細かい分量は書かないが、詳しいレシピ付きのコースに参加。
小腹がすいたら食べてくださいと用意されたものは、ベトナム式で塩と胡椒で食べるウズラの茹で卵。
生ハーブを刻んで潰す、昔ながらのクルーン作り
クルーンの材料は、レモングラス、コブミカンの葉、香菜(パクチー)の茎と根、アカワケギ(ホムデン)、ショウガ、ニンニク、ピーナッツ、唐辛子など。
これらをペーストにするだけなので、ミキサーを使えばすぐにできるが、習っているのは半世紀前のインドシナ。もちろんそんな道具は使わない。
クルーンの材料。東南アジアの食材を扱う店で購入可能。アカワケギは左上の小さなタマネギみたいな香味野菜。
「まずはこれで材料を細かく刻んでください」と用意されたのは、包丁というよりもナタと呼びたくなる四角い刃物と、丸太を輪切りにした反りづらいまな板だ。
この時点でもう、この会に参加して良かったと心が躍っている。
インドシナの調理道具を使えるのが嬉しい。この使い心地はレシピ本では学べない。
これらの道具で刻むのは、レモングラスとコブミカンの葉。どちらもタイ料理などで使ったことはあるけれど、それはローリエのようにあくまで香りづけとして。すごく固い食材なので、食べるという発想がまったくなかった。この使い方がカンボジア料理の特徴なのだろう。
レモングラスなら超薄い輪切り、コブミカンの葉は束ねて畳んで超細切りにしてから、包丁の刃先側をまな板に押し付けて、裁断機のように動かして超細かいみじん切りにしていく。
輪切りや細切りを適当にやってしまうと、そのあとでいくら刻んでも繊維が残って細かくならない。人生で一番細かいみじん切りに挑戦だ。
ザクザクザクザクザクザク……
「もっと細かく!もっと!」
ザクザクザクザクザクザク……
刃がまっすぐで薄い包丁は、クルーン用に硬い材料を刻む用途に特化している。ただし現地では大量生産された文化包丁が増えたそうだ。
レモングラスの食べられる範囲を教えてもらいつつ、無心になって包丁を動かす。力の使い方がわからない異文化の包丁を使えることがすごく楽しい。
固いコブミカンの葉はここまで細かく刻まないと食べられない。
突き臼でペーストになるまで突く
続いて用意された道具も、私が使ったことのないものだった。木と石でできた臼と棒状の杵である。クルーン作りはどこまでもアナログな手作業の積み重ねで、人手が必要なので子どももお手伝いするそうだ。
刻んだコブミカンの葉から色を絞り出すようにしっかり潰し、レモングラスを加えて粒状感が無くなるまで叩き続ける。ここでどこまで手間を掛けられるかが舌触りに直結するので、まったく手は抜けないし抜かせてもらえない。
これが普通の料理教室だったら、「これが潰したものです」と事前に用意された差し替えか、ミキサーなどの電動メカが登場するだろう。しかしそれではインドシナ料理の本質は体験できないのだ。……尊い(と思える人向けの料理教室)。
材料の固さによって杵と臼を使い分ける。
粒状感が消えるように叩き続ける。
コクを与えるピーナッツや香りの強い香菜など、残りの材料をどんどん加えて、杵を強く食材にぶつけていく。
インドシナはハーブの生産地と消費地が近いので、わざわざ乾燥させて運ぶ必要がないため、ウコン(ターメリック)なども粉末ではなく生で使うことが多い。そこがインドやパキスタンとの大きな違いである。
ドンドンドンドンドンドン……
「もっと潰して!もっと!」
ドンドンドンドンドンドン……
ピーナッツのように柔らかい食材は木の臼を使う。
ウコンは粉末ではなく生(冷凍)を使う。
唐辛子は生に加えて、囲炉裏で燻された燻製唐辛子も使った。いぶりがっこのような香りがする。
この大変さを体で理解できる経験こそが貴重。人生にはこんな時間こそ必要だ。
そんなこんなで開始から50分が経過。複数の材料を刻み倒して潰しまくって、クルーンの出来上がりである。こんなにも大変なのに、酸化しやすく日持ちがしないため、インドシナの伝統的スタイルの家庭では、毎日のようにクルーンを刻んで潰して作っていたというのがすごい。もちろんクルーン屋さんで買うという選択肢もあるそうだが。
今の時代であれば、日本でも多くの調味料がそうなったように、チューブや瓶詰に入った大量生産のクルーンがあるのかもしれない。
ようやくクルーンのできあがり。普段使わない筋肉が鍛えられた。
チャークルーンを仕上げる
クルーンさえできてしまえば、ほとんど完成したようなもの。たっぷりの油でクルーンをチャーして(炒めて)香りを引き出し、様々な部位が混ざった鶏肉に塩と砂糖を揉み込んで加える。
インドシナの時代なら、家で飼っている鶏で作る、あるいは一羽買ってきて作る料理なので、肉の部位はいろいろ入るのが当然。胸肉だけ、もも肉だけと部位ごとに買えるのは、当たり前ではないのである。
油をたっぷりと使うのがインドシナ料理のコツ。持ち手部分が一体型の鍋がかわいい。
鶏肉に塩と砂糖で下味をつける。いろんな部位が入ったほうが美味しいそうだ。
鍋に鶏肉を追加。レモングラスとコブミカンの葉の香りが素晴らしい。
ここにもう一つ、カンボジア料理ならではの味が加わる。小型の淡水魚を塩漬けして発酵させたプラホックという調味料だ。
ナンプラーやニョクマムなどの魚醤は琥珀色の液体だが、プラホックは魚の原型がしっかり残っているので、塩辛が近いかもしれない。
小骨があるので細かく刻み、少量の水で溶いてから鍋に加える。インドシナ料理では、肉料理には魚(および魚の調味料)を、魚料理には肉を加え、味に厚みを出すことが多いそうだ。
プラホックというカンボジアでよく食べられている発酵調味料。
カンボジア料理は細かく刻む作業が多い。
美味しそう!
鶏肉に火が通ったら火を止めて、最後に一口大に切った生のピーマンを加えて混ぜたらできあがり。ピーマンには火を通さないのがポイントだ。
絶対に美味しい!写真提供:yucchosan
いやー、大変な料理だ。今もこのように手間をかけた料理を日常的に作っている家庭がインドシナ3国にどれくらい残っているのだろうか。
効率を求めれば現代ならもっと時短可能な方法はいくらでもあるが、それが正解とは限らない。こうしてオリジナルを知ったことで、簡略化するにしろ道を間違えないですみそうだ。
東京産ナマズを青いタマリンドで食べる
もう1品は参加者が持ち込んだ東京都内の川で釣って泥抜きしたナマズを使った、「ナマズの素揚げ、タマリンドの添え物」である。東京のナマズをメコン川風に食べるという趣向である。
アンドシノワーズでは事前に相談をすれば、釣った魚などや捕ったタニシなどの食材を持ち込んで、そのレシピを習うことができるのだ。懐が深すぎる。
本日のスペシャルゲスト。
ナマズに添えるタマリンドといえば、最近別の場所で南インドを習っているのでよく知っている。完熟したタマリンドの鞘を固めたもので、キノコが生えてきそうな黒い塊だ。
水を加えてよく揉んで、酸っぱい液体調味料として使う。
しかし用意されたタマリンドは、なんと生の豆だった。
生のタマリンドなので生リンド……とは呼ばない。
知っているタマリンドと違う!
インドシナでは生のハーブを多用するというが、まさかタマリンドまでこうして使うとは。完熟のタマリンドも使うようだが、こんな選択肢もあるのである。
この鞘はまだ未成熟の若い状態で、下処理の仕方がおもしろかった。まず水で産毛のような茶色い粉(まぶしたのではなくタマリンド由来)を軽く洗い流し、鞘を包丁で開いて、中に豆があれば渋いので取り出す。試しに食べてみると確かに渋柿のようなえぐみがあった。
タマリンドを割る包丁を出していただき、「忍者が使うクナイだ!」と盛り上がる参加者一同。すごくシンプルな構造をしている。
少し大きくなった鞘には豆があるので、渋いので取り出す。
黙々とタマリンドの種を取り出すという、人生で一度あるかないかの経験。
可食部分となる鞘を齧ってみると、酸味が強くて青臭さと僅かな渋味もある。私が知っている味だと、食べられる雑草のイタドリがかなり近い。あるいはルバーブとか。
インドの熟成されたタマリンドとは、梅干しと青梅くらい違う食材だった。仮に文字だけでレシピを知ったとしたら、全く違う料理を想像していただろう。
これをまた杵と臼で丁寧に潰し、アカワケギやニンニクなどを加えて、ナマズに合うように塩を強めに効かせてペーストにしていく。
ダンダンダンダンダンダン……
「もっと滑らかに!もっと!」
ダンダンダンダンダンダン……
なんだかデジャブっぽさのある作業だ。
明日はきっと筋肉痛だな。
赤ワケギや唐辛子などを入れてさらに突く。
半分に分けて、ホーリーバジル入りも作った。
ライムの皮で爽やかさをプラス。
ドンドンドン……
左がホーリーバジル入り。見た目は蕗味噌やナメロウみたいだ。しっかりとした酸味があり、これだけで酒が飲める。
ナマズを素揚げする
タレ作りこそ大変だが、そこから先はすごくシンプルなのは1品目と同じ。
ナマズの内臓をとりだして2つに切り、水気をよく切って素揚げするだけ。
日本料理のように三枚に下ろしたり、丁寧に衣をつけたりはしない。
現地の川魚料理もこんな感じなのだろうなという雰囲気がよく伝わってくる。
ナマズは2つに切って揚げるだけ。
日本からワープしてインドシナで習っている気分だ。
ジョワー。
試食会は知らない味のオンパレード
こうしてできあがった2皿に加えて、アンドシノワーズ側で用意したインドシナ料理を加えて、現地のお祝いの日っぽい試食会。鍋や杓文字、皿やテーブルなど、ここにあるすべての存在が愛おしい。
どの料理もうまいのだが、やはり生のハーブと魚の発酵調味料が特徴的で、どれも知らない味なのに全部おいしい。想像と違う風味の喜び。
特にチャークルーンを食べると、時間を掛けて刻んだり潰したりの手間があればこその味だよねと、ミキサーを使えばいいのにと思った自分を恥じる。じわじわと辛くて最高。
旅が移動時間を楽しむものでもあるように、手料理は手間を慈しむものなのだ。とかいいつつも、チューブタイプの日持ちするクルーンを見掛けたら即行で買うよね。
ごちそうだ!
こうして食べてみるとクルーンを滑らかになるまで叩く意味がよくわかる。鶏肉のいろんな部位が楽しめるのはケンタッキーに似ている。生のピーマンってうまいんですね。
若いタマリンドの酸味が川魚独特の臭みを消してくれる。ホーリーバジル入りの爽やかなタレが好評だった。
ご飯は香り高いジャスミンライス。写真提供:yucchosan
ナマズの食べ比べということで、インドシナのナマズを魚醤で甘く煮たものはギンダラのようだった。豚肉を一緒に煮ることで旨味を足している。
白身魚のラープはラオスの人気料理。ライムと濁り魚醤などで作ったタレで、白身魚の刺身とたっぷりの生ハーブ(セリ、香菜、クレソン、ミント、ディル)を和えたもの。白い粉は炒った米粉で縁起担ぎ。ここまでハーブが主役の料理は初めてだ。
インドシナでよく飼われているアヒルの卵と豚肉の蒸し物。親子丼とミートローフを足したような料理だが、その味はプラホックが支えている。
空心菜の茎って生で食べてうまいんですね。
食事中の口直しとしてフルーツを食べると、味覚がリセットされて最後まで美味しく食べられる。写真提供:yucchosan
デザートはバナナとバナナの葉で包まれたお正月料理。
ちまきかと思ったら、長粒米の餅米をココナッツミルクとパームシュガーでお粥にしてササゲと蒸したものだった。バナナと一緒に食べるとうまい。
日本食でいえば羽釜で米を炊くとか、小麦粉を捏ねてホウトウを作るとか、自家製の味噌を仕込むとか、糠床をかき混ぜて野菜を漬けるみたいな料理教室は、とても満足度が高かった。もちろん1回で学べることは知れているが、この経験を経てアンドシノワーズの料理本を読めば、より深く理解できるはず。
突然スコールのような激しい雷雨。やっぱりここはインドシナだ。
インドシナ料理のアイデンティティにつながる手仕事に触れられてよかった。
とりあず杵と臼を買うとしたら、木と石のどっちにするかをずっと迷っている。
著者プロフィール
Source: ぐるなび みんなのごはん
生ハーブと魚醤が香る、半世紀前の異国の家庭料理…「旧フランス領インドシナ料理」を習ってきた