ドーハへ行って人生が変わった…ピッチリポーター・岩澤昌美はなぜサッカーを仕事にしたのか【ごはん、ときどきサッカー】

グルメまとめ

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かつて日本サッカーで一番盛り上がるのは

全国高校サッカー選手権だった時代があった

すべての高校サッカープレーヤーの憧れ

「ふり向くな君は美しい」の演奏と高校生たちの涙

 

時代は変わりクラブユースが盛んになった今も

高校選手権の魅力は衰えない

ラジオのピッチリポーターとして伝え続ける岩澤昌美に

オススメのレストランを聞いた

 

静岡生まれには特別な存在だった高校選手権と藤枝東

今はラジオ日本で全国高校サッカー選手権大会でのピッチリポーターをやっています。元々Jリーグや日本代表戦でピッチリポーターをやってたんですよ。そこでご一緒したことがあったスポーツ番組のディレクターさんが、高校選手権の番組をディレクションするということで声をかけていただきました。

 

そのディレクターさんには「自分の形」があって、前もって調べた情報ばかりを入れるのがあまり好きじゃないんです。もちろんそれも必要なんですけど、事前情報ばっかり入れちゃうとピッチリポーターが目の前の試合を見ていないだろうっていう方で。

 

「とにかく今行われているこの試合を伝えるのが中継なんだ。だから手に持ったノートを見てしゃべるより、その時、選手が何をしてたか見てなかったらダメだろう」って。

 

私も同じ考えだったので多分そういうところがディレクターさんのニーズに合って使ってもらえているんだと思います。

 

私の生まれが静岡県藤枝市で、もう当然のようにサッカーが盛り上がって、高校サッカーもすごかったんです。昔は全国からみんな静岡にサッカー留学に来るような感じだったし、静岡が本当に強かったし、面白かったんです。

 

うちの母も亡くなった祖母ももちろんサッカーが大好きで、高校サッカー、とりわけ藤枝東も大好きなんです。日本代表の話を母や祖母ともでしていましたが、藤枝東の話だと2人に私が負けるんですよ。

 

昔、家族でお寿司屋さんに行った時にテレビで県予選をやってて、それがちょうど藤枝東が再延長くらいまでやった試合だったんで、母と祖母が盛り上がっちゃって試合が終わるまで帰られなかったっていうのが小さい時の思い出としてあるんです。そういう環境だったので子供のころからサッカー好きだったし、いつも藤枝東を見てました。

 

それで高校選手権ではまず藤枝東が好きだったし、それ以外にも清水東の「望月達也ここにあり」の時代も忘れられないし、長谷川健太さん、大榎克己さん、堀池巧さんの清水東3羽烏も、東海大一のバナナシュートの三渡洲アデミールにも心躍りましたね。高校生のときは清商のグラウンドまで見に行ったりしてました。

 

だから話をいただいた時はすごくうれしかったですね。高校選手権のリポーターができるんだって思って。それで2008年度の決勝、広島皆実と鹿児島城西の試合からずっと毎年決勝のピッチにいます。

 

今年の決勝の山梨学院vs青森山田は2009年度と同じ決勝カードだったんですけど、私はその11年前もピッチリポーターをやってたんです。前回と違ったのは、今年は新型コロナウイルスの影響でピッチには降りられなかったことでした。

 

高校サッカーの魅力って、試合そのものにもいろんな筋書きのないドラマがあるんですけど、それに加えて選手がより身近に感じられる、感情移入できる存在なんですよね。お兄さんという存在から、同級生のマネージャー目線になって、次に弟っていう感覚になって、そこから息子を見ている気持ちになるっていうことなんです。今でも過去の試合の映像を見ると、一瞬でその時の自分に戻れます。

 

小さいときは帰り道で練習している紫のユニフォームのお兄さんがすごくかっこいいと思いましたね。中学になったら今度は自分たちの周りのクラスメイトもサッカー部に入ってて、サッカーを観る機会がまたさらに増えたんですけど、それでもやっぱり同級生よりも高校生のお兄さんたちのほうがかっこいいと思ってて。

 

高校になって初めて同世代になって、もっと高校サッカーが身近になって、自分たちの仲間がやってる感じで「マネージャーやりたい」「近くで支えたい」って思いました。でも私、残念ながら藤枝東の隣の女子校だったんです。だからマネージャーの子たちが羨ましかったですよね。ずっと選手の近くにいてね。ボールやスパイク磨いたり、ジャージを準備したりとかすごくやりたかったんです。

 

卒業して社会人になってからは弟がプレーしてるみたいな感覚になってきたんですよ。そのころJリーグができて高校選手権からJリーガーになったりして。川口能活くんとか、あの年代ですね。それからだんだん歳を取っていくと自分の息子が一生懸命頑張ってるという感じで見るようになってきました。

 

もちろん高校サッカーの魅力はひたむきな姿です。そして限られた3年間という期間にみんなで日々積み重ねて練習して準備して、そこで勝てないと終わりというはかない感じにも心を揺さぶられるんだと思います。仲間との積み上げた日々をを証明する舞台で、ぶつかり合う選手たちの気持ちを目の前で見られて。勝利で流すうれし涙がすごい綺麗だったのと、負けて流す悔し涙に心臓をぎゅーっとつかまれる思いがあるんです。

 

だけど、はかないといっても悲しいのではなくて美しいんですよ。大迫勇也くんは優勝できなかったけど、今では日本代表に欠かせない存在だし。そのときは泣いても明るい未来は待ってるんだから。高校までで終わった選手も、社会人になってから高校サッカーで得た経験が生きてくると思うんです。私も取材した選手のことは忘れないですね。だから何かのときにその名前を見たり聞いたりすると「お、がんばってるな」ってうれしくなります。

 

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高校選手権 心に残っている5試合

その中で私の心に残ってる試合を5試合ほどご紹介しようと思うんですけど、実際は大好きな試合がありすぎて絞れないので、私が中継をした中で忘れられない5試合にしました。

 

まず1試合目は私が初めて中継した、2008年度の第87回大会の広島皆実vs鹿児島城西です。鹿児島城西に大迫勇也くんがいた大会で、勝ったのは広島皆実ですね。守りの広島皆実vs攻撃の鹿児島城西というテーマで中継をやってたんですけど、大迫くんを擁する鹿児島城西に皆実が3-2で勝ったんですよ。

 

ただ大迫くんが個人最多得点となる10得点目を記録したのがこの試合の1点目で、そのことは中継で絶対に入れなきゃいけない要素だったんです。その10得点目をリポートできたのはうれしかったですね。

 

2試合目は2012年度の第91回大会は鵬翔vs京都橘です。雪で決勝戦が順延になったんですよ。選手たちにとっては休みが長く取れるからいいと思ったんですけど、でもそのぶんモチベーションが下がらないか心配をした試合でした。

 

私は京都橘のほうが調子がいいって思って見てたんです。けれど京都橘が点を取るとすぐ鵬翔が追いついて、京都橘が追加点を取るとまた鵬翔が追いついてっていう、この一進一退の様子をレポートをしていたときはドキドキしましたね。結果は2-2の同点で、昔は決勝って引き分けたら両校優勝だったんですけど、第79回大会から決着を付けることになってて、PK戦の末5-3で鵬翔が初優勝したんです。

 

鵬翔はこの大会で1回戦、2回戦、準決勝とPK戦で勝ち進んでました。決勝でもPKを全員が決めて、PK戦への自信みたいなのもあった気がしましたね。その時の京都橘の小屋松知哉くんとか仙頭啓矢くんってすごく人懐っこい感じで、選手インタビューでいろんなこと話してくれる子だったから情はその2人に移ってたんです。

 

でも試合を見てて鵬翔の粘りとPKにはやっぱり感動しました。鵬翔はPK戦を何度もやっていたから京都橘は多分データを全部持っていたと思うんですよ。でも鵬翔にはそれにも勝る気迫というか、決勝に近づいていくにつれて気持ちが上乗せされていくみたいなものがあった気がします。

 

3試合目が2013年度の第92回大会の富山第一vs星稜で、3-2で富山第一が勝って初優勝した試合です。これが建て替える前の国立競技場での最後の決勝ということで、芝のことやスタジアムの形状や国立の思い出なんかをレポートに入れたりしてましたね。

 

富山第一が攻めてもなかなかゴールが奪えない間に、星稜がPKとカウンターで2得点したんです。でも富山第一が後半42分に1点を返して、後半アディショナルタイムに同点となるPKを決めて延長戦に突入しました。

 

その同点のPKシーンをしっかり伝えなきゃいけないと思って富山第一の大塚一朗監督を見たんです。PKを蹴るのが監督の息子さんでキャプテンの翔くんで、そのときの大塚監督が祈ってる「お父さん」だったんですよ。それが印象的でした。

 

中継番組はこういうときに番組を続けるかどうか判断が必要になります。後番組の事を考えると早めに決断しなければいけなくて、ここで止めて打ち切りにするのか、次の番組を全部中止にしちゃうのかっていう決断ですね。

 

「延長です」「次の番組を全部中止にして」「これはもうPK戦かもしれない」っていうやり取りが無線から聞こえてきて、どうなるんだろうってバタバタし始めた延長後半に決勝ゴールが決まって。そういう展開も本当に劇的でした。

 

4試合目は2019年度の第98回大会、静岡学園vs青森山田です。前評判の高かった青森山田が2点をリードしたんです。「あぁ静学は1点も取れずに終わるのか」と思ってみてたら、後半、トントントンと3点を取ったんですよ。

 

静学って足下のテクニックとか綺麗なパス回しというサッカーだったはずが、そのときは泥臭いっていうか粘り強いっていうか。どう戦っても絶対勝ちたいっていう選手の顔になったなって思いました。それから応援席のあの「押せ押せドンドン」の空気が本当にすごかったですね。あの音の中だったら静学が勝つだろうと思いました。

 

だけど、そのことを伝えるタイミングがなかなか無いんです。たくさんあるゴールシーンは実況と解説の聞かせどころですし。そうなるとピッチリポーターはあまり邪魔できないので、ほんの一瞬「スタンドは割れんばかりの声援です」ってその一言を入れるのを狙ってました。

 

5試合目は2020年度の第99回、今年の山梨学院vs青森山田です。試合は2-2で決着せず、PK戦で4-2と山梨学院が勝ったんですが、忘れられないのはやっぱり無観客だったことです。

 

まず私は選手たちとの接触を避けるためにピッチに降りられなくて、1人だけスタンドの最前列に座ってレポートしたんです。あんなに足と足、骨と肉がぶつかる音が聞こえたことってなかったし、本来だったら私がいた場所は人で埋め尽くされているスタンドの一番前の特等席なんですけど、なんか逆にいたたまれなくて。

 

すごくよく見えるし聞こえる場所だし、監督や選手の声も聞こえるんですけど、ここは応援の人の席だからと思って複雑でした。スタンドの一番前にいることが辛いし切なかったですね。

 

いつもの年は負けたチームが勝ったチームに自分たちの千羽鶴を託すじゃないですか。だから決勝になると、両チームのベンチにはものすごい数の千羽鶴があるんです。その鶴はそこまで戦ってきた人たちへの想いなんですよね。だけど、今年は勝ったチームに託せなかったんですよ。だからそのぶんの思いも持ってレポートしなければいけないって、そう思ってました。

 

試合は意地と意地のぶつかり合いで、青森山田が前年度は決勝で負けてるので今年こそ、ということもあるし、11年前の決勝戦では山梨学院に0-1で負けてるので、そのリベンジということもありました。

 

青森山田は本当に強かったんですけど、山梨学院に先制されるっていうサプライズから試合が始まって、「あの青森山田」でもプレッシャーを感じるのかって思うところも多々ありました。

 

試合後、無観客ではありましたけど、それでもサッカーができる喜びを選手たちは感じただろうなって思いました。オーロラビジョンに応援する人を映してたんですけど、たとえ映像でも選手たちには気持ちが伝わるんだって試合後のコメントで教えてもらいました。

 

それから試合とは違うんですけどもう1つ忘れられないシーンがあります。それは2020年の3位の表彰式です。いつも私は3位の表彰式をスタンドに残って全部見てから選手のコメント取りに行くんです。毎年切なくなるんですけど、今年はまたいつもとまるで違って。

 

今年の3位の表彰式に出てきたのは帝京長岡と矢板中央だったんですけど、新型コロナウイルスの影響で今回は学校名のプラカードもなかったので整列しても寂しかったですね。表彰物も手渡しじゃなかったんですよ。プレゼンターが正面にある台の上に楯を乗せて、それをキャプテンが取っていくんです。いつも辛いけど、今回は特に最後までしっかり見届けて、ちゃんと見送りたいと思った切ない表彰式でした。

 

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ピッチリポーターは「100」準備してても「2、30」ぐらいしか出せない

高校サッカーとJリーグや代表のピッチリポートをするときの違いは、高校サッカーのときは高校3年間の凝縮された思いを伝えたいというところです。プロには進めないで、この大会を最後にサッカーの第一線から引いちゃう選手がいたり、監督はそういう選手に悔いを残さずにやらせてあげたいと思ってるので、そういう部分を伝えたいと思います。

 

その選手がこの高校サッカーの決勝の舞台とかを出るときの思いとか、家族や支えてくれたご両親の話や、ベンチにも入れなかった仲間の思い、千羽鶴に象徴されるそこまで戦ってきた人たちへの想いなんかも伝えたいと思ってます。

 

選手は親への感謝をよく話してくれるんですよ。寮に入れてもらったり、実家から通ってる子はお母さんが早起きして3年間お弁当を作ってくれたり、そんな親への気持ちはできるだけ伝えたいんです。

 

失敗したって思うことはあんまりないんですけど、でもやっぱりラジオ中継だと私のタイミングで話を入れられるわけではないから、そこで残念に思ったことはありますね。レポートが入れられるのは、このプレーはゴールにつながらないだろうっていうときや、あとはラインを割ったときなんかで、本当に少ないから。「100」準備してても「2、30」ぐらいしか出せないんですよ。それはもどかしいですね。

 

今すごいプレーした選手のことをちょっとしゃべりたいと思っても入れられないというのはよくあります。入れられるタイミングがあったとしても、もう試合が流れていて「なんでこの選手の話なの?」ということになる場合もありますし。それで入れられなかったレポートが、そののちにゴールにつながる話だったりすることが多々あったんですよ。

 

「このプレーにこの選手はこんな思い入れがあったって言いたかったのにゴール決まっちゃったよ」って。もし先にその話ができて得点が決まったらすごいドラマなのに、決まった後に入れても後付け感が出ちゃうから。

 

もちろんゴールした後に「実はこの選手ってこうなんです」って言っても、たぶん聞いてる人には「そうなんだ」と思ってもらえるんでしょうけど、その場面の前に話ができればもっとよかったのにという場面はすごくあります。

 

それから両校のベンチリポートを担当してますから中立でいなきゃいけないけど、どうしてもゲームを作ってるチームが目立つからそっちの選手の話が多くなっちゃうんです。そこは迷うところがありますね。

 

押されているチームのこともちょっと話したい。じゃディフェンダーの選手のことを話そうとか、ゴールキーパーの選手の話そうと入れるんですけど、その話の後にゴールを決められちゃうと、すごくへこみますね。

 

このディフェンダーは頑張るんですよって話をしたあとや、ゴールキーパーはトレーニングをいつもこうやってるんですよっていう話をしたあとゴールを入れられちゃうと、「ああ、話をしないほうがよかったんじゃないか」とか、こんなこと言わないでおいてあげたほうがよかったなとか。そういう葛藤はすごくありますね。

 

それに、たとえば青森山田と山梨学院のあんなすごいゲームを見ちゃうと、私が余計なことを言っちゃ悪いって思います。「よく頑張りましたね」「素晴らしかったですね」なんて言うのも申し訳なく思うし。考えすぎかもしれないんですけど。

 

それから大会の運営さんと同じように、私も「1位」「2位」って言わないようにしてます。それは今年の試合でさらにその思いが募りました。両チームともあれだけ全力を尽くして、思いを込めて、魂ぶつけ合ったんだから、「1」と「2」という表現は自分の中では違うんですよ。「優勝」と「準優勝」なんだって思ってるんです。どっちも優勝とか、勝敗を付けないのが正しいとは思わないんですけど、せめて表現にはどっちにも「優勝」という文字は入れてあげたいと思うんです。

 

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ラジオでは全部言葉で伝えないといけない

ラジオはテレビと違って、「ご覧ください」とは言えません。全部言葉で伝えないといけない。だけどラジオだと、見たものをしゃべれるので、逆にすごく助かることもあります。テレビだと映ってないと難しいけど、ラジオだとそういうことを気にせずベンチの動きだったり監督の動きを話していいですから。

 

サブの選手がアップしていて監督に呼ばれた時の顔だって私は伝えられるんですよ。本当にうれしそうな顔をするし、気合の入った顔も見られるし。送り出される時、背中叩かれているときの顔とか、監督からの指示とか。それを話せるのはすごくうれしいですね。これは前もって取っておいたコメントでは絶対に出せません。

 

高校生だからまだ自分の考えを言語化するのが難しい選手もたくさんいるんですけど、話を詰めていけば本当に話してくれるので。その話を聞くのにすごく役立った経験があるんです。

 

私、昔フロンターレのラジオ番組「VAMOS川崎フロンターレ」という番組をやっていました。そのとき三好康児や仲川輝人、久保建英、三笘薫や田中碧の高校生や中学生、小学生時代に話を聞いているんですよ。あの世代を取り上げたいと思って自分で企画を出したんですよ。そうしたらクラブも育生年代を取り上げてほしいと思ってたみたいで、ちょうどタイミングも良くて。

 

ただ、みんな小さかったからインタビューしてもうまく話せないんです。それがしばらくするとだんだん形になってスラスラ答えるようになってきたので、「今、Jリーグであれだけうまくしゃべれるのは私のおかげだよ」って思ってるんです(笑)。

 

田中碧なんて「僕の名前読める?」なんて言ってきたりする、すごくかわいい子供たちだったんですよ。向こうが私のことを覚えてるかどうか分からないですけど、でも、そうやって全部の世代のお話を聞けたのはよかったし、そういうところの経験が高校生に話を聞くときにも生きてると思います。

 

あと高校選手権の思い出ということ、私は優勝したときの野洲がすごく面白くて好きだったんですけど、実は主人と初めて知り合って仲良くなったのも野洲の話で盛り上がったのがきっかけだったんです。

 

2006年ドイツワールドカップのパブリックビューイングの仕事をしていて、ステージ終わってぶらぶらしていたら声をかけられたですよ。そのとき彼は小学生のサッカーチームのコーチをしていて引率で来てました。

 

全然知らない人に声かけられるのもあんまり好きじゃなかったし、いかにも年下だったから「いやだな」と思ってたんですけど、サッカーの話をなんとなくしたときに高校サッカーの話になって、印象に残っているチームがお互いに野洲だったんですよね。それでちょっと心を許した部分があった——というのがきっかけでした。はい。

 

ドーハへ行って人生が変わった

私の人生が変わったのは、1993年にドーハで開催された1994年アメリカワールドカップアジア最終予選でした。その当時、私はまだSBS静岡放送のキャスタードライバー(車を運転しながら街の情報を伝えるラジオ番組キャスター)だったんです。でも最終予選に行きたくて、夏休みを全部取っておいてドーハに行ったんですよ。そしてそこで日本があと一歩でワールドカップに行けないというのを目の当たりにしました。

 

2-1とリードしたまま残り時間が少なくなって、もうアメリカワールドカップに出場した気持ちになってたんですよ。勝ったつもりで「どうやってアメリカワールドカップに行く休みを取ろうか」って考えてて。だからたぶん、真剣に試合を見てなかったんですね。そうしたらコーナーキックから同点に追いつかれて。

 

それを今でもすごく後悔してるんです。私が最後までしっかり真剣に試合を見て応援してたら日本はアメリカに行ったって思ってるから。それが悔しくて、試合を最後の最後まで見ていられる審判になろうって、帰国してから審判の資格を取りに行ったんです。

 

最初の4級審判は筆記テストで80点以上取れば合格だから簡単じゃないですか。私はそんなのでアメリカワールドカップを逃したことのお詫びにはならないと思ったんで、3級も取ろうって。

 

私は運動神経すごく悪くて足も遅かったから、50メートル走のテストはすごく大変だったし、200メートル走はもっとだったし、12分間走るクーパー走なんて死ぬ気でやんなきゃダメで、すごく練習して頑張って、20試合で笛を吹いて3級審判を取ったんです。

 

それと同時に、しっかりサッカーの仕事をしたいと思ったんです。だから1994年に上京して仕事を探しました。ドーハで出会った方たちに連絡を取って「仕事何かないですか?」とか「どうやったらいいですか?」って。そのときジャーナリストの刈部謙一さん(故人)とか富樫洋一さん(故人)、カメラマンの六川則夫さんたちがいろいろ情報をくださいました。

 

それで私はとにかくプロフィールを書きまくって、教えていただいた方のところに持参して挨拶して、その方が紹介してくれた方のところにも行って、またそこから何人か紹介してもらったところにプロフィールを持って行くって、そんな事をやってました。

 

その一つが東京FMで、挨拶に行ったら運がいいことにちょうどその年スポーツ局を立ち上げるということで、歓迎してもらえたんですよ。東京FMの記者バッジをもらえたので、それからずっとサッカーの取材に行ってました。

 

1998年フランスワールドカップアジア最終予選のUAE、カザフスタン、ウズベキスタンなど全部行けることになり、ワールドカップ本大会や2000年シドニー五輪の予選や本大会も全部カバーできました。昔はFM局が私と柴田玲ちゃんの女性2人を派遣してくれるという時代だったんです。結果、ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、オリンピックは2000年シドニー大会、2004年アテネ大会と現地取材に行かせてもらえました。

 

今、ベテランと呼ばれるようになって考えてることがあるんです。「ピンチはチャンスだ」って若い子は言うでしょう? でもこの歳になると「ピンチはピンチ」なんですよ。絶対に失敗できないし、1回のピンチで仕事は多分なくなりますから。だからピンチにならないようにちゃんとしようと思います。準備したり、喉を整えたり、体調も管理したりして、ちゃんと表に立てるようにしようって思ってます。

 

ただ若い子には育ってほしいと思っています。仕事を譲れるところは譲ろうと思うんですよ。だけどベテランの力がほしいって言ってくれる人や、やっぱり私じゃないとダメだって言ってくれる人がまだいるから、すごく頑張れるんですね。

 

じゃあどうしたら私はこの世界を気持ちよく辞められるかって思ったときに、カズ(三浦知良)さんとゴン(中山雅史)さんの存在が私の中ではすごく大きくて。あの2人が現役で頑張っている限りは私は絶対に辞められないって思ってます。ゴンさんもまだ「引退した」って言ってないし(笑)。

 

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1杯目のビールは絶対に「シャープ注ぎ」! これしか考えられません

なんですか、ご飯の話って? え? いえ、連載の他の記事読んでますよ。……読んでるって触りだけってのがばれちゃった。えっと、これも高校選手権の好きな試合と同じでありすぎちゃって。

 

最近で言うと、結婚した星野源と新垣結衣が共演してたドラマの中で、星野源の津崎平匡さんが新垣結衣の森山みくりにプロポーズするレストランが、みなとみらいにあるんです。「アルテリーベ」という店なんですけど、そこ、実は私も私の誕生日に主人と行って同じ席で食事をしました。私もあの席でバイオリンを弾いてもらったなって。今、その席に座りたくて、みんな予約してくるんですって。本当に美味しいし、景色も雰囲気が良いレストランです。

 

他にはそうですね……私何でも美味しいし、食べるのも好きでいろいろ調べていくんです。1回行けばだいたい満足するんですけど、その中で「もう1回行きたい!」って感動したところが2つありますね。

 

1つは横浜の日ノ出町、オシャレな長屋の一つにある「内田日和」っていうお店です。日本全国の日本酒も揃えているんですけど、ここのビールを飲むと「ビールって本当においしい」って思えます。アサヒのスーパードライが出てくるんですけど注ぎ方が違うんですよ。

 

「シャープ注ぎ」「2度注ぎ」ってあって、その「シャープ注ぎ」は泡のきめ細かさと口当たり、のどごしの良さが同じスーパードライと思えないくらい。1杯目のビールは絶対に「シャープ注ぎ」! これしか考えられません。それから私がオススメしたいのはレモンサワーですね。感動しました。焼酎だけが凍らせてあって、それがレモンの果汁の中に入ってます。

 

つまみも最高で、大好きなのはポテトサラダですね。ふかして潰したポテトの中にグリルしたベーコンと揚げたジャガイモとクリームチーズが入ってて、このポテトサラダとシャープ注ぎされたビールがあればずっと楽しめます。他にもオクラのぬらとかシシトウのクリームチーズとか、自家製のなめたけとか、飲んべぇにはたまらないと思いますよ。ぜひ一度行ってみてください。これはお酒を楽しむという考え方が変わります。

 

もう1つは桜木町、マンダリンホテルの2階にある「エタージュ」というお店です。私の誕生日は必ず夫と2人でフレンチを食べることにしていて、毎年いろいろお店を探していたんですが、この店にいったとき「来年もここにしよう」と思いました。

 

本格的なフレンチで、料理もワインも接客もすべてが最高です。すべてにおもてなしされてる感じ。私が食べたコースは出てくるお料理それぞれに合うワインがセレクトされて付いてるんです。前菜に合うワイン、お魚やお肉に合うワインと、その組み合わせが絶妙で、しかもワインがどれも雑味がなくて他のところで飲めなくなるくらいおいしいんです。

 

季節の食材も珍しい食材もふんだんに使っていて、予想を上回る工夫をして作ってあるし、お皿も盛り付けもいいんです。しかもコスパまでいいんですよ。本格的なのに、お値段はそう高くなくて。ワイン好きな方はぜひ行ってみてくださいね。

 

紹介したお店

アルテリーベ 横浜本店
〒231-0021 神奈川県横浜市中区日本大通11 横浜情報文化センター1F
12,000円(平均)2,500円(ランチ平均)
内田日和
〒231-0065 神奈川県横浜市中区宮川町2-40
エタージュ
〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町4-170 横浜マンダリンホテル2F

 
 

岩澤昌美 プロフィール

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SBS静岡放送勤務時代、休暇をとって日本代表を応援するため、カタールを訪れたところ、ドーハの悲劇を目撃。その後、サッカーを仕事にする道を模索することとなり、SBSを退社。以来、リポーターとして様々なテレビ・ラジオ番組に携わり続けている。静岡県出身。

 

著者プロフィール

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

【関連リンク】

森マガ
サッカー、ときどきごはん : 森マガ
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Source: ぐるなび みんなのごはん
ドーハへ行って人生が変わった…ピッチリポーター・岩澤昌美はなぜサッカーを仕事にしたのか【ごはん、ときどきサッカー】

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