僕は自分の考えを押しつけていた…なぜ柿谷曜一朗はセレッソを去り名古屋へ来たのか【ごはん、ときどきサッカー】

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試合後のオンラインの記者会見が始まった

いつもは陽気な選手が前を見たまま表情を変えることなく

淡々と記者たちからの質問に答えていく

その様子からは勝敗すら読み取れない

 

大阪で生まれた男が大阪を出て

新たな場所で信頼を得るために一から積み上げている

繊細で複雑な一面を持つ柿谷曜一朗に

オススメの店を聞いた

 

セレッソは僕ひとりのものではなかった

自分が一番苦しかったときって……順位付けるのは難しいですけど、2006年セレッソ大阪に加入して、2009年に徳島に行く前とかはやっぱ苦しい……苦しかったっていう記憶がありますね。若かったんで、今思うと苦しかったと思うけど、そのときはそこまで苦しいっていうかそういう感じには多分とらえてなかったという感じやったんですけど。

 

2016年にバーゼルからセレッソに帰ってきて6月にケガして11月までずっと試合に出られなかったときも苦しかったですし、2017年にJ1に上がったけど試合に出れなくなっていってるときもやっぱ苦しかったし。……まぁでもその2017年から2020年ぐらいが一番苦しかったですかね。

 

そのとき苦しい状況にしたのは自分やけど……なんやろ……若いとき、10代のときとはまた違った……こう……苦しさというか。

 

自分は先輩たちを見て「セレッソってすげえいいチームやな」「こういう人たちがセレッソをまとめていって、こういう人が中心におるからなんや」っていうのをずっと思ってきたんですよ。自分がいざその立場になったときに、セレッソっていうすごいチームにいる自分というプライドがすごくあったんで。

 

長い間セレッソにいると見えなくてもいい部分がどうしても見えてしまうから、サッカー選手としてプレーする以外にも口を挟んだり、自分の考えというか、自分はこうしてきたっていう思いとか、自分の経験とか自分が育ってきた環境っていうのを人に押し付けたり。

 

本当はそんな「チームを見てきた」っていう気持ちをいろいろアップデートしていかなあかん中で、まずサッカー選手としてプレーでみんなを引っ張っていかないといけない部分、一番大事なとこが全然できてないにも拘わらず、口に出してしまったというか。

 

クラブをよくしたいと思っているのと、自分のクラブ、セレッソってこうあってほしいというのを目指してた部分もあったし。よく言えば責任感だと思うんですよ。でもそれはね、いろんな人の思いがあってのクラブやから。僕ひとりのものでもないし、いろんな考え方があるのに、僕が柔軟に対応できなかったっていうのが多分一番の原因だと思います。

 

自分はセレッソの選手としてというよりは、何かこう、自分自身がセレッソそのものでありたかったっていう、わがままというか……エゴっていうのが、どうしても強いものがあって。

 

それは今そうやったと思うけど、でも、思ったことを言い合ってこそセレッソやったし、それでこそ僕やったんで、全然後悔はしてないです。表現の仕方が悪かった部分もあるとは思いますけど、それも含め自分は「セレッソの8番」っていう、僕にしかできないことをやらなきゃいけないと思ったし。

 

「セレッソの8番」は重いんですよ。シンジ(香川真司)君もキヨ(清武弘嗣)も「8番」でしたけど、「セレッソの8番」っていうのはサポーターにとってはやっぱり森島寛晃さんの番号やし。

 

悪い意味でとかじゃなくて、「いつまでも8番は森島さんじゃないで」っていうスタンスも自分の中で取ってたんでね。刃向かってたわけじゃないですけど、オレは自分のやり方で「セレッソの8番」を務めて、セレッソを引っ張っていくっていう気持ちでしたから。

 

「引っ張っていく」という言い方はなんかかっこいい感じですけど、自分なりにという考えが強かったかなって思いますね、今は。やってたときは有意義な時間でしたし。ちょっとこだわりすぎたのかなっていうのもあります。

 

自分で勝手に「8番」を重くしてた部分もあるし。そういう部分もすごく考えてて、あまりにもプレーに集中できてなかったなって今思います。そうやっていく中で、自分はチームの中心の1人って見られてないって感じ出したんですよ。

 

それで名古屋グランパスに移籍するってことになって。もう名古屋に来てから1年経ちますけど、SNSの誹謗中傷的なやつっていうのはまだあるし。非難はあると思ってたんですよ。僕も全然伝えきれてないままセレッソを去ったし。

 

でも移籍はプロの世界、どこでも起こり得ることやし、なんか悪口を止めてくださいって言うつもりもないけど、基本的にはもう見てないし。自分の個人のSNSに直接酷いこと書き込むっていうのも大分減りましたけど。

 

腹割って全部伝えるっていうことはできないじゃないですか。それに、こういう経緯があってこうでっていうことを1個ずつ説明しても納得してくれへん人もおるやろうし。

 

言葉って伝わり方によってはね、違うように伝わってしまうときもあるし。どれだけそういう思いを持ってやってたかとかいうのは中の人間にしかわからん部分とかもあるじゃないですか。

 

何か弁解したいという気持ちは、諦めたと言えばそうだし。それに僕はもう名古屋で一生懸命プレーするだけやし、名古屋の勝利にフォーカスを置いてやるしかないから。名古屋に応援してくれる人がたくさんいるんだし、セレッソに対して何か言ったら名古屋の人たちに申し訳ないじゃないですか。

 

だから何も言わないことで誤解されて非難されても、僕はそんな気にしないし、ほんまに分かってくれる人もいるし。もちろんこれまでの思いを束ねてみてくれればわかってもらえるかもしれんけど、今の世の中って今日だけ見て昨日あった出来事は見ないですからね。それを憶測で書かれたりする世界やから。でも誰かが傷つくような書き方はやめてあげてほしいっていうのはあります。

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監督によってプレーは変えないといけない

名古屋で遠慮してるとかは正直もうないです。ただ2021年はまだ自分のプレーの感覚と、フィジカル的なところのズレがあったって思ってます。やっぱり体がきついっていうのが一番でしたね。

 

年齢もあるのかもしれないですけど、やっぱりセレッソでは名古屋に来る前の3年間ぐらい、シーズン通しては試合に出られなかったし、さらに2021年の名古屋のような連戦じゃなかったし。

 

それに求められてるサッカーとかプレーっていうのも、セレッソと名古屋では全然違うっていう認識でやってるから。だから自分がもっと成長というか、もっと体力つけて、もっと試合の中で走れるようになったら、さらに自分のいいところを出せるんじゃないかって思ってるんですよ。

 

このサッカーって1、2年続けたらパワーアップするっていうよりは、5年ぐらい続けてトップレベルでやっていかないと体に染み込まないんじゃないかって思うから。試合への取り組みは練習からかなり意識を変えてやっていってるつもりやけど、それでもまだまだかなって思うんですね。

 

途中交代とか途中出場が多いけど、マッシモ・フィッカデンティ監督の中でもプランがあって、調子いいからとかだけで使われないから。もちろん調子もあるとは思いますけど、全員がチームの戦術、パーツとして考えて起用していると思うから。

 

前線には選手が多いし、いろんな特長のある選手がいるから、「ここまではこういうサッカー」「ここからはこういうサッカー」って考えて1人ずつはめていく感じやし。交代したとしても、「自分が交代したってことは、これからやるサッカーは違ってくるんやな」っていうふうに思いますし、監督自身そう言ってるんで。

 

そこはみんなが監督へのリスペクトも含め理解してやってるからこそだと思いますよ。そこで監督が交代の指示を出しても「オレ調子ええねんから代えんなよ」っていうのは1人ぐらいですね(笑)。

 

名古屋がやっているのは中央の前の選手に預けて縦に出ていくサッカーというよりは、どっちかというと早くサイドにボールを持っていって「安全に攻める」というサッカーです。

 

チームとして早く外から攻めようっていうイメージがあって、そこにスピードある選手が控えてるんで、そこを使って素早く攻めよっていうコンセプトというか、ボールを失ったとしてもやられない場所から攻めるっていう意識が強いと思うんです。

 

もちろん試合によってやり方は全然違いますし、中央から行くときもありますけど、みんながその意識になってるっていうのが名古屋の一番の強みな部分でもあるんで。これだけ無失点が続いてる要因ってのはまずそれやと思うし。

 

自分が得意としているプレーはボランチやったりセンターバックの周りをウロウロして、紙一重のところでボールを受けてかわしてゴールに迫ることやと思ってます。DFが一番やられたくないところでボールをもらわないといけないし、パスを出してもらわないといけないんですけど、そこに当てるリスクもあるし。

 

「オレにボール出せよ」って思ってる場面もあるし、伝えてるところもあるんですけど、自分のところに当てても奪われてしまうってまだ思われてる、まだ信頼がないんじゃないかなっても思うし。

 

「オレによこせ」って言えって僕に指示してきたのはレヴィー・クルピ監督でしたね。ボールを取った後はセンターサークルから後ろに戻るな、サイドにも流れるな、お前はボールを持ったとき全部ゴールまで行ける準備をしておけって。

 

だからボール取ったときにチームをまず僕を見て、2タッチ目で僕を探してくれてる部分もあったんです。それはクルピ監督のやり方で、やりやすい部分もありました。

 

セレッソでやってるとき、自分はこれで点を取り続けていくっていうイメージもあったけど、それはクルピ監督のやり方だったし。そうやってゴールを取っていたときのイメージがそのまま僕の選手像やと思っている人たちもおると思うんですよ。

 

でも監督によってプレーは変えないといけないと思ってるし、変わるっていうことをもっと知ってほしいし。そこで自分のやり方だけしかやりたくないというヤツもおるかもしれんけど、自分はそうじゃないし。それはその人の性格にもよる部分はあると思いますよ。

 

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セレッソに勝って優勝したルヴァンカップ

2021年のルヴァンカップ決勝は相手がセレッソになって、ほんまにやりたくなかったですね。セレッソが勝って喜んでるとこも見たくないし負けて悲しんでるとこも見たくないし。

 

だから「どういう心境でやればいいんだろう」っていう感じだったんです。ただね、思い切ってやる以外になかったですからね。名古屋のファンのために。「僕の前で喜んでる姿は絶対見たくない」と言いましたけど、そんなの当たり前やし。

 

「勝敗はどっちでもいい」とかじゃなくて、絶対勝ちたかったし、絶対優勝するっていう気持ちはもちろんありました。けど今、終わったから言えるかもしれないですけど、自分がセレッソを離れて、セレッソが弱くなるっていうのも嫌やし、逆に言うとセレッソがタイトル取ったり強くなるっていうのもやっぱり嫌やし。

 

それはもう長年、セレッソに在籍したからこそ思う感情であって、もうセレッソからいなくなったからセレッソのことはどうでもいいとやっぱり思えない部分があるから。今でも仲良くしてくれる選手ももちろんいるし、気を遣ってくれるスタッフもいるけど、セレッソがこれから大きくなっていくのに僕の力っていうのはもう使ってもらえないし、使えないわけじゃないですか。

 

だから決勝の舞台というのはみんなが思ってるより何倍も複雑な気持ちは持ってたんです。けど試合になったら吹っ切れてやってました。試合後はセレッソとの関係もあるから記者会見しなあかんやろなと思ったけど、勝利チームの1人として質疑応答したけど、知り合いの記者からは感情が表情に全然出てなかったって言われましたし。

 

ただ、ショックやったのはこの試合前に、セレッソのサポーターに向けたひどい言葉が、いかにも僕のセリフとして出回ってたことですよ。自分が言ってない言葉やのに。煽るのはいいと思うけど、でも煽るのと失礼なこと言うのは違うって、さすがに僕でもわかるし。

 

関西のノリというか、たとえば目の前にセレッソのサポーターがおって僕が名古屋の選手として煽ってくださいって言われたら、「最後悔しいと思うよ」とか冗談交じりで言うのはいいと思うんです。煽りやと伝わるから。でもセレッソサポーターがいない状態で傷つけるようなコメントを僕はしないですよ。

 

他にも過去の監督との確執みたいな書かれ方した記事もあって、今そのタイミングでそれを出さんでもいいやろうって。複雑な思いで臨んだセレッソとの決勝で、すごい自分にとっては人生で大事な試合がある中で、そういう情報が目に入ると「なんでそういうことするのかな」って思ってました。

 

実際名古屋が勝ったし、僕はいろいろ言われても分かる人は分かってくれると思ってるんでいいんですけどね。でもファンの人を傷つけるのは止めてほしいっていうのはありましたけどね。

 

個人的にはまだまだ数字的に物足りなさすぎる

名古屋もいいクラブなんですよ。元々ビッククラブっていうのはわかってましたけど、人間味のある名古屋のファミリー(サポーター)のみなさんがいて。

 

2021年はチームとしては本当に素晴らしい経験をした1年だと思いますけど、自分にとってはふがいない結果やったし、個人的にはまだまだ数字的に物足りなさすぎるし。

 

でもそういうときでも変わらず応援してくれてるサポーターがおるっていうのは、もうホントにありがたいことやし。「いやいや、オレもっとすごいプレーを見せるで」っていう気持ちになるし、自分の励みになってるし。名古屋サポーターの期待に応えなあかんなっていう一心でやってるってとこもありますね。

 

移籍した以上、これまで以上の成績を出さないといけないと思うし。ACLはいろいろありましたけど、そういう障害があっても、その上で勝っていくチームにならなあかんし、そういうチームを引っ張っていけるような選手になりたいと思ったし。

 

試合を重ねるごとに目標がどんどん出来てくるから、自分にとっては毎日、毎試合、新鮮な気持ちでやれてるっていう感じです。2022年も楽しみですよ。2021年は移籍してきて遠慮がちなスタートだったと自分でも思うから、シーズン頭からもう1回、もっと上を目指してやっていけたらと思います。

 

 

最後、食べ物ですよね。それが名古屋の店には全然行けてないんすよ。新型コロナウイルスの影響で。

 

だから大阪の店を紹介しておきます。親友のパスタ屋さんです。西九条の駅の近くにある、「イタリア食堂 マリーケント」っていう店です。今のセレッソの選手はわかんないすけど、他の選手もよく行ってましたね。午前中練習があったときに昼飯食いに行ったり、家族で夜ご飯食べに行ったりっていうのも多かったし。

 

僕の持論ですけど、ご飯って店員さんの人柄のよさで味が変わると思うんですよ。どんだけ美味しい料理でも、店員さんが愛想悪かったり、感じ悪かったら、どんなに美味しくても次また来ようとはならへんと思うし。

 

そういった面で言うと、ここの店長は人のよさっていうのはずば抜けてるんで。だから味がゼロだとしても、いやもちろん味は全然美味しいですけど(笑)、ケント店長の人柄のよさと、関西人ならではのすべることを恐れず喋るトーク技術が上乗せされて、美味しいご飯になってるんで。

 

一応僕のスペシャルパスタっていうのがあったんです。とりあえずニンニクマシマシの。メニューもいっぱいありますけど、メニューに載ってない、こういうのが食べたいですって言ったらすぐやってくれてました。融通が利くというかもう何でも言うこと聞いてくれるお店なんで。

 

名古屋はほんま探してる途中というか、全然行けてないんで、新型コロナウイルスが収まったらいろいろ探しますよ。それも楽しみです。

 

紹介したマリーケントの2号店はこちら

イタリア食堂 マリーケント 長田店
〒577-0016 大阪府東大阪市長田西4-3-19 エステートあずま
2,500円(平均)999円(ランチ平均)

 

 

柿谷曜一朗 プロフィール

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セレッソ大阪の下部組織で育ち、2006年に16歳でトップチーム昇格。徳島ヴォルティスへのレンタル移籍やFCバーゼルへの移籍を経て2016年にセレッソへ帰還。2021年からは名古屋グランパスでプレーしている。2014年には日本代表としてブラジルW杯に出場した。1990年生まれ、大阪府出身。

 

Photos by Miki SANO

 

著者プロフィール

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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Source: ぐるなび みんなのごはん
僕は自分の考えを押しつけていた…なぜ柿谷曜一朗はセレッソを去り名古屋へ来たのか【ごはん、ときどきサッカー】

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