2022年11月7日、Jリーグは年間最優秀主審を発表した
ところが選ばれた人物は12月15日に突然引退を発表する
年間を通じて見事なジャッジを見せていた
トップレフェリーのあまりに唐突な退場劇だった
信頼感は抜群でアジアでも難しい試合が割り当てられる
淡々と冷静に正確な判断を下していく
世界の大舞台で笛は吹かなかったが実力は折紙付
そんな佐藤隆治に心の内とオススメの店を聞いた
45歳は区切りの年だった
辞めるまでの細かい経緯まではいろんな人を介してるので語れないんですけど、いずれにしても2022年シーズンが一つ節目になるというのは分かっていたんです。カタールワールドカップの年であるということと、45歳になる年だったんですよね。
昔は国際審判員は45歳が定年だったんですよ。今はもうその制度は撤廃されているんですが、僕が国際審判員になったときはまだ45歳定年が残っている時代でした。2008年に前任の松村和彦さんが定年で、僕はその枠をいただいたというか、そうやって2009年に国際審判員になったんです。
だから45歳は自分にとって一つの区切りの年だと思ってました。それがたまたまワールドカップの年でしたね。
もちろん自分が思い描いてた終わり方ではなかったですけど、一生懸命やってきた結果がこれでしたから。じゃあまた次の目標を考えたときに、いろんな人と話していく中で、現役として区切りをつけて、次の道に進んでいくのも「あり」と思ったんです。
特にどこかをケガをしていたとか、コンディションが整わなかったとか、そういうことはありませんでしたし、当然まだ続けられるという気持ちでずっとやってきました。もちろんカタールワールドカップに行けるかどうかは一つの区切りではあったんですけど、それはそれ。国際審判員も45歳でひと区切りで、それはそれだと。
これから先もまだ現役で、ということも当然考えてはいたんです。でも、そこで考えたのは、今まで14年間国際審判員、プロ審判員としていろんな人にサポートしてもらっていろんな経験をさせてもらったということだったんですよね。
そういったものをどう還元するか総合的に考えて、別の形もあると思いました。何かこれ一つで決めたというわけではなくて、いろいろ考えた中で自分で決断したんです。
部屋で大泣きしたロシアから4年後、まさかの落選
2022年、Jリーグの最優秀審判賞をいただいて素直にうれしかったですね。様々なことがあった2022シーズンで、いろんな思いや葛藤があった中、最後までやり切りたいということだけを考えてましたから。
いろいろ雑音が入ることも確かにあったんですけど、それでもやっぱり最後までやり続けたい、やり続けるんだというのが2022年後半戦のモチベーションになってました。
とにかく1試合ごとに全部やりきる。よく中学生とか高校生とか3年生の最後の大会って、それまでさぼってたわけじゃなくても、最後の最後ということで湧き出てくる力みたいなものがあると耳にするじゃないですか。結果的には、自分もそういったところでやれたと思います。
カタールワールドカップを見ていろんなことを感じましたよ。やっぱりワールドカップはちょっと特別な大会なんだなって。ロシアワールドカップのときも感じましたけど、単純にいい悪いではなくて、すごく大きないろんなものの力が重なり合って働く大会なんだろうって。
そういうことを感じられたのも、正直自分は幸せだったなと。もちろん、本来自分が思い描いてたものとは、まったく違ったというのはあります。カタールワールドカップに行けなかったことで結構自分の心は折れましたね(苦笑)。ロシアワールドカップのときも笛は吹けなかったですし。
ロシアワールドカップのとき、大会が始まる前にロシアに入って準備したんです。代表チームが事前にキャンプを張って大会に臨むのと一緒で、レフェリーも1週間ぐらい前に入って時差ボケを直してトレーニングして、テクニカルな話なんかをすり合わせて大会に臨むんですよ。
僕はロシアのときワールドカップ初参加で、周りには2大会目として参加してるレフェリーが何人かいたんです。レフェリーの割り当ては、グループリーグが3試合ありますから、大体1試合目は評価の高いレフェリーを当てて、いい大会スタートをまず切らせるんですよ。そして2試合目、もしくは3試合目の、勝負のかからないようなところで1回目のレフェリーを当てるんですね。
僕はグループリーグ第1戦のスペインvsポルトガルの審判団に割り当てられて、会場のソチに試合の2、3日前に飛びました。そのとき「とりあえず荷物全部持って行けよ」って言われたんです。どういうことかわからなかったけど、なんかイヤな気はしてましたね。
ソチでいきなり笛を吹くとは思ってなかったですし、実際に第4の審判に割り当てられたんですが、ものすごいカードをイタリア人トリオのレフェリーがすごいパフォーマンスで裁いてて、単純にすごいと思って見てました。
そして「次の試合ぐらいは笛の割り当てが来るかな」と想像してたら、試合の翌日、審判アセッサーにホテルのロビーへ呼ばれたんです。何かと思ったらスマートフォンの画面を見せるんですよ。そこには「佐藤はグループステージの最後までソチにいる」みたいな簡単なテキストが書かれてました。
そして「この意味分かるだろう」という感じです。審判アセッサーは自分では言えなくて、「上からの指示だから」ということでスマホを見せてきたんですね。まず、そういう通知の仕方なんだってビックリですよ。
そして言ってることの意味を悟りました。グループステージの間はずっと第4の審判ということなんです。もし主審の割り当てが入るんだったら必ずモスクワに戻ってテクニカルな打ち合わせをしてから試合会場に行くので、ずっとソチにいるということは主審じゃないんです。
見せられて「あぁ、なるほど」と。「わかりました。部屋に戻ります」と行こうとしたときに、副審の相樂亨さんと一緒になったので、相樂さんの部屋に行って「メッセージを見せられて、ずっとソチと書いてあった」と言ったんです。
相樂さんはベテランなので、それでピンときて「そうか」って。それで「部屋に戻ります」って自分の部屋で大泣きしました。41歳が年甲斐もなく感情を爆発させて。
でもそのとき、「あいつ、笛吹けなくて落ち込んでる」と言われたらむかつくと思って、それをモチベーションに割り当てのないことがわかってても毎日トレーニングして、絶対「やる気がない」「手を抜いた」と言われないようにとやってました。そうしないとやっぱり僕はメンタルを保てなくて。
相樂さんと「もうトレーニングキャンプだな」「やってやろうぜ」と言って、毎日まったく手を抜かずにトレーニングしてました。大会中、どこかのタイミングで帰国することになるだろうから、そのタイミングまでしっかりやろうと。
結局、笛は吹けなかったんですけど合計4試合、第4の審判に割り当てられましたね。第4の審判の席に座っていると、自分の前2メートルぐらいの距離にピッチがあるんです。そのラインが果てしなく遠いんですよね。この2メートルが全然違うんだと感じてました。
ただ自分の中でそういう状況でも第4の審判の任務も毎日のトレーニングもすべてやればできるんだなと経験したし、ワールドカップはやっぱり特別で違うんだということがわかりました。
日本の審判はそれまで大会でずっとワールドカップに選ばれて、主審として笛を吹くのが当たり前みたいなことになってました。他の国からしたら「うらやましい」と思う部分も当然あったのかもしれないです。
けどでも自分に関しては、単純に力がなかったと思いましたね。ワールドカップに行けないんじゃないかと思ったことが何回もあったんですよ。「何とかギリギリ入れないか」くらいでした。
帰国するとき、審判インストラクターから呼ばれて話があるんですけど、もちろん「なぜ主審をやらせなかったか」とかいうことは言わないし、説明する義務も当然ないんですね。誰を選ぼうが、それは選ぶほうの勝手だと思うんで。
ただ、主審としての割り当てがなかったという事実だけがあって、それに対して「ソチでどんな生活をしていたかは、ちゃんと報告受けて聞いてる。とにかくやり続けなさい」と言われたんです。
だから少なからず一定の評価をしてくれたと僕は感じたし、「もう1回、カタールでチャンスがある」と、それがロシアから帰ってくるときの次のモチベーションでしたね。カタールは「呼ばれること」じゃなくて、「笛を吹くこと」が目標で、そのためにまたこの4年間、やろうと思ってやってきたんですよね。
ロシアワールドカップ後に、AFC(アジアサッカー連盟)の大会、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)だったりアジアカップに呼ばれました。大会の中でも見ただけで大変そうなカードがあるじゃないですか。そこに自分がアポイントされるというのは、一つの評価をもらっていると思っていました。
だから「このペースでやっていけばいい」とは思いながらも、やっぱりロシアのことがあったし、人事は水物なので選ばれないかもしれないし。もし選ばれなかったとしても、それはそれでちゃんと受け止めようっていう気持ちではいました。
だから2022年3月、ワールドカップ予選で笛を吹いて、ACLにも行ったあとですね。多分4月か5月にはワールドカップに向けた審判のセミナーがきっとあるだろうから、そこに呼ばれるかどうかが境目なんだろうと思っていたので、そのころは寝られない日が続きましたよ。
国際サッカー連盟(FIFA)の本部があるスイスと日本は9時間の時差があるから、FIFAからメールが来るなら日本時間の深夜1時過ぎだと思って、夜中に何回も目覚めてメールチェックしていましたね。
そうしたら5月のいつだったか、木曜日というのは覚えてるんですけど、木曜日の夜8時ぐらいに自分が信頼してる人から電話かかってきたんです。「どうしたんですか」と聞いたら「インターネットのニュースに載ってるよ」って。自分のところにメールで連絡がないのに、ネットに載ってるということはダメだったんだとすぐに分かりました。
それで検索してリストを見て思ったんですよ。「なるほどね」って。冷静でしたよ。「うん、なるほど。よくできたリストだな」と思いました。自分が選ばれたかどうかではなくて、よくできたリストでした。だから「しょうがないな」って。
ロシアのときは大暴れしたんですけど(笑)、至って冷静で涙を流すこともなく受け止めました。自分でびっくりするくらいですね。よく言えばちょっと大人になったとか、ちょっと強くなったと思ったり。
もし自分が審判の中でぶっちぎりの一番だったらまた違ったと思うんです。でもそうじゃなかったから選ばれなくてもおかしくない。多分いろんなことが絡み合ってのリストだと思いますけど、ただ僕が一番ではなかったことは事実です。
僕たちの順位は誰もがわかる客観的なものってないんですよね。陸上なら100メートル走ってタイムの一番早い人が一番。走り幅跳びなら1センチでも遠くに飛んだ人が一番。でもサッカーの審判はフィギュアスケートの芸術点みたいにいろんな主観が入るわけです。もちろんそうは言ってもある程度客観的に見る指標を持ってます。ただ、最後に誰を選ぶかは主観しかないんですよ。
僕が思ってるクオリティと相手が思っているクオリティが違ったのであれば、それは致し方がないことで力及ばずだと思うし。FIFAが女性の審判を選ぼうとしたことが逆風になったという人もいたんですけど、でも僕がずっと逆風の中で国際審判員を14年間やったかといえば、そうじゃないんです。
追い風があると感じたことも何度もあったんですよ。いろいろな試合の割り当ては、自分の実力だけじゃなく、トーナメントの勝ち上がりで、対戦国同士の関係から自分が選ばれたりとか、以前の試合で何か起きていて、そういう背景から自分が選ばれたりとか。僕が望んで笛を吹くことになったわけではなくて結果的に割り当てられて、それが評価される試合になったりしたことがあるんです。
だから追い風のときは自分の、ひょっとすると実力以上のものが前に出ることもあれば、ときにはその風に押し戻されることもあるし。だからロシアも含めて、僕はワールドカップに縁がなかったと思うんですよ。
カタールがダメだった直後の試合は鮮明に覚えてますし、行けなかったことは残念ですよ。ダメだったって知った瞬間は、感情は爆発させなかったですけど、衝撃は多分死ぬまで覚えてると思います。
ただ、それが誰かのせいだとは本当に思わないし、逆に自分がまだ何かできたかっていうと、もちろん何かが足りないから落ちたと思うんですけど、自分があのときこうすればよかったとか、あの試合がよくなかったとか、それは全然ないですね。全部やりきったと思います。
日本サッカー協会(JFA)は新型コロナウイルスの影響で本当に大変だったんです。コロナで海外渡航が厳しく制限されている中、僕を海外の試合に派遣してくれたんですよ。最初、2020年のACLは自粛と言ってアポイントを辞退していたのを、「そうは言っても佐藤がカタールワールドカップに行くためには実績が必要だから」と、2021年シーズンは本当にフルサポートというか。
それこそ行くときの手配から始まり、この時期のサウジアラビアは日本の渡航禁止リストに入っていたのに、AFCもそうですけど、JFAがサウジアラビアサッカー協会に直談判して特別なビザを取り付けたり、いろんな手を使って行かせてくれたんです。
このときはビザが下りなくて成田で3日間待ったんです。通常だったら「もういい」とみんな諦めると思うんです。AFCもそうだしJFAも「行けるかどうか、ビザ下りるかどうかわからないのに、わざわざそんなところに行く必要ない」って。
「でも佐藤をカタールに行かせるためには」と対応してもらって、毎日連絡がないか待ち続けて、3日間成田でホテルに泊まってました。
当時は行くときPCR検査が必要だとか、帰ってきたら隔離があって。最初は政府指定の隔離施設に入って、それが終わったら自主隔離があり、トータルで2週間。その間のトレーニングをどうするかという問題も出てきて。
そうするとJFAが僕たちレフェリーのための「バブル」を作って、JFAの「夢フィールド」でトレーニングできるようにしてくれたんです。他の人と接触しないように導線をつくって。
そこまでやってくれてたので、ワールドカップ落選の原因を誰かのせいにすることはないんです。今回本当に自分も一生懸命やった。みんながサポートもしてくれた。そうすると単純に自分の力不足なんです。ただ自分に何ができたのって言われると、もうあれ以上は無理だったと思います。だから素直にというか、縁がなかったなって。これも人生だなって。
W杯に行けなくて感情的になって辞めたわけではない
長かったですね。5月のワールドカップ落選から12月のワールドカップ決勝まで。でも時は絶対に流れると思ってました。
5月に僕がワールドカップに行かないことが決まって、声をかけてくれた人もたくさんいたし、逆に「どんな声をかけていいんだろう」とよそよそしかった人もいたり……それでも3ヶ月ぐらい経つと何となく落ち着いてきてました。
でも9月、10月になってくるとワールドカップの話題が盛り上がってくるじゃないですか。いよいよ、という感じで。そうするとまた心にさざ波が立つわけです。
大会にはもちろん知ってるレフェリーもいました。一緒にアラブカップを担当した人とか、一緒にオリンピックへ行ったメンバーとか、僕が初めてFIFAのアンダーカテゴリーの大会に行ったとき一緒になったアントニオ・マテウ・ラオスさん(カタールワールドカップの準々決勝、オランダvsアルゼンチンを担当)とかね。
今FIFAが求めてるレフェリーはこういう人たちで、こういったレフェリングが求められてるんだろう、なんて、放送を見ながら思ってました。だからと言って、そこに自分を投影して、もし自分だったら、という考えはもう全然なかったですね。
ただ、本当に強調しておきたいのは、「ワールドカップに行けなくて、嫌気がさして感情的になって辞めた」のではないということですね。
ワールドカップに行かないことになったときに、どんな形であれ、下向くことなくやっていこうと思いました。いろんな感情はすぐには消えないと思いましたけど、それとピッチ上のパフォーマンスは別だし、やり切ることが目標だと思って。
その気持ちを支えに残りの半年やろうと思って、その過程の中で今年を最後にしようという決断をしたんです。いつ辞めようと思ったかは、早い時期ですよ。細かくは言わないですけどシーズン中です。
そのときに辞めることは妻にしか言ってないです。審判仲間には誰も言ってない。JFAの本当にごく一部の人だけに伝えましたけど、秘密にしてもらいました。2022年Jリーグの一番最後の試合はJ1参入プレーオフだったんですけど、そのとき一緒にやったメンバーももちろん知らなかったので、僕が引退すると聞いてびっくりしたと思います。
辞めるときの伝え方はいろんな方法があると思うし、僕も辞めるタイミングや年によってはもうちょっと違ったアナウンスの仕方をしてたかもしれないですね。
ただ、2022年にビッグイベントがある中で落選し、そういう過程の中で辞めようと決めたときに、あと何試合ですとか、これがラストマッチですとか、誰かに言われずに本当フラットにやりたかったんです。
評価されることもそうだし、もちろん叩かれることもそうだし。とにかくフラットに、誰かに気遣うこともなく、最後までやりたかったし、それをやらせてほしいと思ってたんです。
Jリーグが終わって、引退を発表した後に2022年12月20日から東南アジアで開催されていたAFF三菱電機カップ(東南アジアサッカー選手権)に行ったんですが、あれはJリーグ最終節前にはすでにオファーをいただいていたんですね。
たぶん、「佐藤は2023年に国際審判員に登録しない」という話が何となく海外で広がっていたんだと思います。だからオーストラリアやニュージーランドの9月の国際親善試合も、そしてこの三菱電機カップも、一緒にやってきた海外の仲間が呼んでくれたんだと思います。JFAも「行っていいよ」と快く送りだしてくれました。それは幸せでしたね。
だから、本当にやりきったっていうか。自分が決めたことは最後までやれたんですよ。他の人には言ってないけど、自分の中では「あと何試合」って数えて、そのどれも大事に、他の試合を大事にしてなかったわけじゃないですけど、大事にして特別な感情を持って笛を吹いていました。
その三菱電機カップでは難しい判定もあったんですが(※)、あれは僕だけが見ていたんじゃなかったので、審判チームで出した答えですから。
(※ ベトナムとマレーシアの選手がもつれながらゴールラインを越え、起き上がる際にマレーシアの選手がベトナムの選手を蹴って退場。場所がペナルティエリアの延長上だったため、ベトナムにPKが与えられたが、非常に稀なケースのためルールはどうなっているのか選手たちは混乱していた)
もちろん自分が全部見て判断するときもあれば、足りないピース、足りない事実を、副審や第4の審判からもらって、その情報から僕が最後に決断することもあります。レフェリーはフィールドにいる4人がそれぞれのポジションから、常にいろんなところを見て、自分が見えない背後は補って、やっと答えを出してるんです。
なかなか普段目にしないシーンなので、ある程度選手が混乱するのは仕方がないと思ってました。ただ選手が混乱するより、適用ミスをしてしまうことのほうが怖いですよね。最後の試合がああなってしまうというのは僕らしいと思います。
海外では真面目さや礼儀正しさが評価されるとは限らない
2月1日からはJFA審判マネジャー Jリーグ担当(VAR担当)という仕事をやっています。当然僕1人で何かできるわけじゃないので、今やってるメンバーに僕も入れてもらって、ですね。
VARは、2017年3月ぐらいの審判セミナーから始まり、僕自身は2017年3月のFIFAセミナーで初めてVARのことを学び始め、Jリーグへの導入も今年で実質3年目ということで、VARを経験してる審判がまだ少ないんですよね。今年からJリーグでも3Dのオフサイドラインを導入するんですが、VARを導入して間もないため、これまでVARに特化した指導者がいなかったんです。なので、まずそこを中心にやっていく感じです。
ただしVARが全てのカテゴリに入れられるかといったら決してそうではない。J1リーグはよくて地域リーグの試合は軽いんですかということはなくて、それぞれ一緒だと思うんですよ。そこは問題ではあります。
でもそうは言ってもカテゴリーが上がれば上がるほど、注目される大会になればなるほど、ちょっとしたことがものすごく大きなインパクトになる。そういった意味ではテクノロジーを入れるのも悪くないのかなって。
そこで気をつけなければいけないのは、テクノロジーに利用されるようになったら、もう僕たちは必要ないということです。そのバランスというか、あくまでもテクノロジーは道具だと思いますね。
その道具を使うのは人間であるべきだし、そうすると人間がテクノロジーがあるからと手を抜いたり、楽ができることはなくて、その機械をいかに使うかがより難しくなるというか、責任が大きくなるんじゃないかと思います。
VARが入るようになると、映像でハッキリと白黒が分かるケースが増えることで、言い方は悪くなりますが、レフェリーがいろいろ窮屈になってくるのは避けられないと思います。判定に関してもトップダウンで見解が下りてくるので、そこは右に行けと言われたときに、右に行かないわけにはいかないですよね。
ただ、右に行けと言われたときに、そんなに大きく右だとは言ってなかったとしても、受け手が右にぐっとハンドルを回すことはあります。カタールワールドカップではグループステージの最初、ビックリするくらいアディショナルタイムが長かったのが、試合を重ねる毎に許容できる時間になっていきましたよね。
アディショナルタイムを厳格にしようというのは、2021年のFIFAアラブカップのときにもありました。それまでのFIFA大会でもあまり指導が無かったのが、途中からだんだん言うようになって。日本は昔からやっていることを、後追いでFIFAが言ってきたと僕は受け止めてました。
去年の審判セミナーぐらいから「アクチュアルプレイングタイム(実際にプレーしている時間)」を強調し始めていて、それが数字として、7分〜10分というアディショナルタイムに現れたと思います。
今、サッカーにいろんなテクノロジーが入ってきてだいぶ流れが変わってきました。ロシアのときはなかったオフサイドのセミオート機能がカタールワールドカップには導入されましたし。そういうテクノロジーが入ってくることで競技規則も変わっていくでしょうね。
本当はトップオブトップの試合にしか関係ないのに、それに合わせてルールが変わることに歯がゆさを感じています。それでも今まで自分がやってきたことを還元できることの一つはVARかと思いますね。
もちろんVAR以外のことも、いろいろ次の審判員に伝えていくというか。自分はワールドカップに行けなかったからワールドカップレフェリーを育てるというのもおかしいと思うんですよ。ただよくも悪くもいろんなことを経験させてもらったと思います。
国際審判員になったのも含めていろいろタイミングもよかったんです。2009年、国際審判員に登録するときの自分がJリーグでどんなパフォーマンスだったか。なかなかお叱りを受ける試合の連続だったと思いますよ。
それでも審判員の年齢的なバランスやタイミングなんかを考慮して国際審判員にしてもらったと思うんです。そこから14年間やってこられた。みんなワールドカップって簡単に言いますけど、実際全員が同じように行けるかと言ったらそんなことなくて。やっぱり「時の運」なんですよね。
ワールドカップに行くメンバーの年齢構成だとか。場合によってはアジアの地域性とか。そういういろんな要素が絡み合う中で、ワールドカップの候補になれるのは一つの国で主審は1人だし、自分は本当に運よくワールドカップ候補に選ばれ、ロシアに行くための競争に参加させてもらったんですよ。
ロシアワールドカップには行った。でも、笛を吹くことなく帰国したんで次の4年のために頑張った。AFCの中でもいろんな試合をやらせてもらった。ACLの難しいカードや決勝、U-23選手権の開幕戦、アジアカップの準決勝を任せてもらったり。
そういった中で、でもカタールのワールドカップには行けなかった。もちろん一生懸命やることや夢を持ってやることは大事だし、でも必ずしも自分の手の及ばないところでの話があるということを僕は実際体験したんですよね。
その悲しさも僕は知ってるけど、でもやってきたことの喜びとか、いろんなものを伝えて、次の世代の人たちに頑張ってほしいと思うし。「こうやればワールドカップに行ける」という話を僕はできないですけど、でもこういうふうにやっていくと、いろんな経験ができて、いろんなチャンスと出会えるという話はできます。
海外で笛を吹くチャンスがある人には、日本では味わえない試合を一つでも多く味わってほしい。そのためにはやっぱり力が必要だし、でも力を上げるだけではどうにもならないこともあるし。
そんなときにメンタルをやられて下を向くかというと、それも許されない。そういうことをいろんな形で伝えていけるのは自分しかない、とまでは言わないですけど、全部が全部うまくいったわけじゃなくて挫折も味わったし。
日本の審判のレベルやクオリティの高さは評価されているけど、ただやっぱり海外で勝負していくには真面目さや礼儀正しさだけが決していいわけではない。場合によってはそれがネガティブポイントになるということも自分が経験させてもらったりとか、今はそういったことを伝えていけると思ってます。
これからもチャレンジだと思います。肩書きや経験値だけでは教えられないんですよ。今度は教える、伝える立場の1年生なので、ここからどうやって伝えていくかを考えないといけないですね。もし肩書きで3年はいけたとしても、3年経つと審判の世代が変わって「佐藤さんってJ1でやってたんでしたっけ?」という話になっていくと思うんですね。
そこで審判に指導するという部分できちんと評価をされてないと信頼を得られないと思います。指導者として1からまた勉強だと思いますね。そして世界での活躍に関しては次世代の審判たちがきっと頑張ってやってくれると思います。
ひっそり辞めていく審判がいてもいい
審判がそっと辞めてくのもいいと思いますよ。やっぱりサポーターや選手からしたら、1試合でも、たった一つの判定ミスであっても試合結果に大きな影響があれば悪い記憶に残っているでしょうし、当然僕だって覚えてるし。
よくね、「人生かけてやってる」と選手やチームに言われますけど、僕たちだって人生かけてやってる中で、決して望んで間違った判定になったわけじゃないし。ただ結果的にミスをしてしまった。そして元に戻る、判定をし直すことはできないんです。
今考えるとVARがあったらよかったと思う場面はいっぱいあります。過去のいくつかの試合はVARがあればひっくり返せたんですよね。そういった意味ではVARは必要だと思います。
本当にいくつかそういう試合があったのでね、多分僕はその試合のことを一生忘れないと思います。そしてそういう試合を2度と起こしたくないと思ってやってきた結果がこのプロ14年間でした。
僕も現役時代は大満足だったかと言ったら、そういった試合があったのも事実なので手放しでは喜べない。そういう意味ではひっそり辞めてくのもいいのかと思いますね。
お気に入りは東海市のお箸で食べるフランス料理の店
はい。最後はレストランですよね。実は愛知県東海市にある店を紹介しようと思うんですよ。
「ミル・クール」っていう、シェフ1人でやってる、野菜中心のお箸で食べるフランス料理の店です。店はあまり大きくなくて、ドレスコードがなくて手軽に食べられる店ですね。
そこはたまたま知り合ったサッカー好きのシェフで、僕はご褒美がてらに行くところです。ロシアワールドカップに行くことが決まったときに、お祝いとして家族で行ったりしました。
シェフがご飯作りながら喋ったりしてゆっくりご飯が出てきて、ざわざわしていないというか、贅沢というかゆったりした時間を過ごせるところです。
現役を辞めたんでゆっくりできるかと思ったんですけど、すぐにVARの研修会が始まったりシーズンに向けて準備しなければいけなくて(苦笑)。だからまたゆっくり落ち着ける時間ができたら行こうと思ってます。
え? もう一つですか? じゃあ、愛知県半田市なんですけど、「すし 笑魚亭」ですね。こじんまりとしたお寿司屋さんなんですけど、ここもサッカーつながりの方に「いいとこあるから一緒に行こう」と紹介していただいて。ゆっくりお寿司を食べながら、サッカー談義をしてます。
僕は何でも食べるんですけど、三貫だけ頼むとしたら……まずやっぱりマグロかな。それからイカとかも好きなんですよね。そして白物かな。そこはねタイがすごくおいしいですね。
ネタがすごい肉厚で、一つひとつが大きいというか「このお寿司のネタ、厚くないですか?」って聞いたくらいで、見応えのある立派なタイなんです。あとは「穴子の握り」は絶品です。近くに来たら行ってみてくださいね。
紹介したお店
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください
佐藤隆治 プロフィール
筑波大学を卒業後、プロフェッショナルレフェリーを目指し、2007年からはJリーグで主審を担当する。2009年からは国際主審としても登録され、以後、数々の国際大会で笛を吹いた。2022年に引退し、現在はJFA審判マネジャーとして活動している。1977年生まれ、愛知県出身。
森雅史 プロフィール
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。
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