2011年ドイツ女子ワールドカップで日本は優勝した
2015年カナダ女子ワールドカップでは準優勝
だがそこからなでしこジャパンは苦戦を強いられている
再び栄光をつかむ日は訪れるのだろうか
2023年も女子ワールドカップが開催される
芸能人からジャーナリストに転向してまで
女子サッカーを追い続けている松原渓に
大会の見どころとオススメのレストランを聞いた
なでしこジャパンを追い続けてきた
2月にアメリカで開催されたシービリーブスカップ(アメリカ・ブラジル・カナダ・日本の4ヶ国対抗)に取材に行ってきたんですよ。最後、東京五輪のチャンピオンだったカナダに勝って、今後に希望を持てる大会だったと思います。なでしこジャパンは2011年ドイツ女子ワールドカップで優勝しましたけど、昔から冬の時代が長くて。
2015年にカナダ女子ワールドカップで準優勝になって、2019年フランス女子ワールドカップではベスト16でした。そして今年はオーストラリアとニュージーランドの共催で女子ワールドカップがあります。
これまで日本はコロナ2019の影響で強豪国との対戦ができていなかったんですよ。日本の水際対策が厳しくて。でも、昨年末あたりから強豪国と対戦できているので、そこで一気にいろんな課題が出てきていて、それを潰してワールドカップに臨めるんじゃないかと感じています。
選手も主軸をある程度固定した中で、池田太監督は選手たちが自分たちで試合中に修正できるようなチームづくりをしていて、それがシービリーブスカップでは功を奏したというか、成長の伸びしろが見られたと思います。
3試合で1勝2敗という結果でしたけれども、強豪国相手にいい内容で主導権を握っていたので期待できるんじゃないかと思っています。ただ、出場国が24ヶ国から32ヶ国に増えるので、今まで出られていなかったヨーロッパの強豪国が出てきますから、そういう意味では難しくなる部分もありますね。
正直、優勝候補とは言いづらいですが、森保ジャパンと同じように快進撃して、ベスト8以上を狙ってほしいと思いますね。
サッカーをやめた後に入った芸能界でサッカーの仕事に出会った
私、体を動かすのが好きなんですよ。そもそも父が登山家で、小さいころずっと山に登っていたのがルーツというか、運動好きの原点だと思います。
小学校4年生から部活でサッカーをやっていました。女子は3、4人しかいなかったので男子と一緒に練習していたんですけど、チームとして試合をするときは他の学校からもかき集めて女子チームで出てましたね。
指導者はすごく面白い人だったんです。ところがある時急に辞めちゃって。それで新しく来た監督が、今、スフィーダ世田谷の総監督をなさっている川邊健一さんでした。当時はまだスフィーダというチームはなかったんですけど、あと3年生まれるのが遅かったらスフィーダを受けられていたのになと思います。
当時、私が住んでいるところで女子サッカーで上を目指そうと思うと読売クラブしかなかったので、中学1年生になるときにセレクションを受けました。200人ぐらい受験して4次審査まであったのかな。リフティングしたり走ったり、いろいろなテストがあって、最後がゲームだったんです。
そのゲームは、自分で希望のポジションに手を挙げてそこに入るという感じだったんですよ。私が得意にしていたのは右サイドハーフとかトップ下でしたけど、私はすごく気が弱くて主張できなくて。結局残った左サイドバックになったんです。それまでやったことがないポジションでした。
「何にもできない」って感じたのを覚えてます。やっぱり自己主張が大事だなって、その時は自分の性格を恨めしく思いました。セレクションとはいえ自己主張が大事。何か言ってくれるの待ってたらダメって。
それで中学のときはSOCIOS.FCという社会人チームにいたんですけど、すごく練習場が遠かったんですよね。しかも社会人中心だから練習時間が夜で、帰宅するのはかなり遅い時間だったのでちょっとずつ行けなくなってしまって。
それに私、高校1年生のときにヘルニアになっちゃったんですよ。新聞配達のアルバイトをしたり、体育会系のバレーボル部にも所属していたので運動のしすぎで椎間板の軟骨の部分がなくなってしまって。当時、ヘルニアは手術しても完治できるのが五分五分ぐらいで、費用も200万円ぐらいかかると聞いて止めました。
激しい運動ができなくなって、フェードアウトしかかっていたサッカーを完全にやめる形になってしまいました。電気治療でごまかしながら新聞配達は続けて、卓球なら負担が小さそうだなと卓球部に入って学生生活を送っていました。
そうしたら高校3年生の時に芸能界にスカウトされたんです。友達のお姉さんが芸能事務所のマネージャーさんで、私のプリクラを見て興味を持ってくれて。その友達の家に遊びに行ったときにお姉さんに会ったんですけど、あまりにもプリクラと本人が違うっておっしゃってました。
プリクラには可愛い感じで写ってたんです。でも当時は校則が厳しくなくて服装が自由な学校だったので、髪はドレッドのように編み込んでピアスも開けていました。本当はダメなんですけどバイク通学もしていました(笑)。
実は高校のときからずっとバイクに乗っていて、今でも移動は電車かバイクです。「バイクのお姉ちゃん」というイメージを持っている人もいると思いますね。
あるとき小柄な女性がモトクロスを乗りこなしているを見て、バイクに乗りたいって衝動的に思ったんです。大きいものを操りたいっていう憧れがあって。ハーレー・ダビッドソンに乗っているのも、1番大きくて安定したバイクに乗りたかったからですね。
そんな感じだったので「ちょっと芸能界のキャラじゃないね」と言われて。ただそのマネージャーさんや事務所の社長さんと仲良くなって遊んでいるうちに「やっぱり、ちょっとやってみようか」という話になって事務所に入りました。
そういうことに対する貪欲さがどうしても持てませんでした。グラビアアイドルにはまったく向いてなかったんですよ。自分が思った顔と映ってる顔が違ったりして、「なんかうまくいかないな」っていつも思っていました。笑っているつもりで、全然笑っていなかったり。表情を作って表現するプロの人はすごいと思いますね。
演じることは好きで、舞台やドラマのお仕事には打ち込むことが出来ました。ただ、写真を撮られたりバラエティに出たり、喋ったり、ということが本当に苦手で、そういう表現方法は向いていないと思いました。
それでグラビアを2年ぐらいやった時に、「スカパー!」のサッカー番組のオーディションを受けて、海外サッカー番組のアシスタントになったんです。
でも、最初は試合を見ることに全然興味がなかったんです(笑)。プレーしてる人ってそうだと思うんですけど、自分でボールを蹴るほうが楽しくて。ただ私、暗記が好きだったんですよね。百人一首を全部暗記したりとか、英単語を覚えたりとか。そのノリで、当時のアーセナルとか、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッドなんかの選手名を全部覚えたんですよ。
アーセナルの布陣が4-3-3だったら、このポジションが誰でどんなプレースタイルで、という特徴を覚えるのがすごく楽しくて。それを続けているうちにサッカーが楽しく見られるようになってきて、それで見る楽しさを知ったという感じですね。
そういう縁もあって、サッカー系の仕事に推移し始めて、高橋陽一先生のフットサルチーム、南葛シューターズに入ってフットサルも始めたんです。サッカーとフットサルってスペースの使い方が違うじゃないですか。最初はスペースにボールを蹴ってしまったり、トラップが大きくて取られてしまったりしていました。
女子芸能人フットサル大会に出場したときに、澤穂希さんが来てくださったんですよ。そこで紹介していただいて交流が始まったんです。読売ベレーザの選手にも会えるようになって、やっぱり憧れていた世界なので、試合を見に行くようになりました。
見ることで初めて生まれてくる言葉がある
女子のサッカーはスピード感がないという人もいます。でも、私はプレーの個性や人間的な魅力に惹かれて、そこからじっくり見るので海外サッカーやJリーグと比べることはありません。
それに女子のほうは取材者が少ないこともあって話をじっくり聞けるのは取材者冥利につきますね。取材をしているうちに「まだ知られていない選手たちの魅力を伝えたい」と思いますから。
ボールを蹴ったり、体を動かしたりするのは楽しいです。でも、本当に自分に向いてる仕事、夢中になれることってなんだろうと考えた時に、やっぱり書くことなんですよね。うちは両親がライターなので、取材をすることや書くことが小さい頃から身近で、私自身も「伝える」ことに興味がありました。どちらかというと、自分が表に出る側よりも、そういう人の魅力を「伝える」ことが好きなんです。
大事にしているのは、現場に足を運ぶことです。見ることで初めて生まれてくる言葉があるというのはすごく感じます。1人の選手を長く続けることで、人物像みたいなものが分かってくることもあります。
ただ私、1回見てその人のことを書くってできないんですよね。長く見続ける中でその中で「今だ」と思ったときに書くんです。そんなこと言ってたら仕事にならないんですけど、でも原稿はいつもそういうペースで書いていて、そのほうが納得して仕事ができますね。
サッカーを書くというよりは、その選手のことを書く、人を書くほうが好きなので。そういう人間ドラマを伝えるのは、書き切れた時にすごく達成感があるというか。
何を書くにしても、起承転結って、特に「転」のところってすごく大事だと思うんですよね。その人を書く上で、「落ち込んだときがあるからここまで頑張ってこられたよね」とか、「ここで失敗したから、ここ学んでいけたよね」とか、そこは見逃したくないポイントですね。
でも才能で言うと、ないと思うんですよね。私が知っているライターさんや小説家の中には、ホントにぱっと頭の中で起承転結ができて書ける人がいて。私はそういうタイプではないです。6,000字書いてそれを1,500字に削ります、とか、そういうタイプなんですよ。だらだら書いてしまって捨てられないというか。そこが自分の課題というか、全部書きたくなっちゃうし、だから効率は悪いです。
でも、そういう書き方をしていると思わぬ流れができたりするんですね。効率だけを求めていたら思いつかないその流れが「自分の持ち味なのかな」と思ったりもします。
消費されない記事を書き続けたい
人生で辛かったのは……芸能事務所を辞めるとき、フリーランスになるか就職するか悩んだときですね。それがちょうど大学を卒業するタイミングだったんですけど、芸能界でこのままやっていけるだろうかと考えて、普通の会社に入ることも考えました。
テレビ関係で「うちの会社を受けてみたら?」と言ってくださる方もいらしたんですけど、「なぁなぁ」で入るのもどうかと思っていたんです。うちは両親ともフリーランスで、いろんなことにチャレンジしながらギリギリでも生きていけるのなら、それはそれで楽しいかもしれないなと思って。その道を選んで、今に至ります。
フリーランスは収入の浮き沈みはあるんですけど、その点に関して言うと芸能界にいたころから不安定でした。芸能界にいるとたくさんお金がもらえると思われるかもしれませんが、全力でバイトしていましたよ(笑)。
それがライターとしてスポーツの世界に来たときに、すごくフェアというか。もちろん競争はあるんですけど、芸能界とは全然違う世界だなって。芸能界って才能と実力と、ガツガツ感とかいろいろな要素が求められましたが、フリーランスになってからは筆1本という感じです。レポーターの仕事にしても1回失敗したら次のチャンスはもらえないかもしれないっていう、その緊張感が心地よかったですね。
私はとても緊張するので最初は失敗もたくさんしましたけど、でもそれが楽しいって感じて。自分にとってやりがいのある仕事や意義のある仕事なら、たとえ貧乏でも楽しく生きていけます。
幸いなことに2011年ドイツ女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝したあと、BSフジがなでしこリーグを全試合放送してくださっていたので、私は全チームのレポーターをやっていろいろな監督や選手、関係者の方と知り合うことができました。INAC神戸レオネッサの番組に抜擢していただいたご縁もあったので、おかげさまで仕事の幅が広がりました。
2015年までのなでしこブームの時はまだよかったですね。でもブームが終わると書かせてもらえる場所は限られています。私がメインで書いているYahoo!ニュースは、自分の好きなテーマを好きなだけ書くことができます。
文字数とか写真の枚数にも制限がないので、文章の長すぎる私にとっては修行の場になりました。それを見てくれた人たちが「記事を読んだよ」と言ってくれたり、またお仕事をくださったりすることもあります。
それから私はほんと幸いなことにフジテレビさんで、U-20女子ワールドカップの試合後のフラッシュインタビューをやらせていただいたりとか、記事を書かせていただいていました。
海外の取材経費は、赤字になることもあります。テレビ中継がないと、もう大変なことで。2022年のU-17インド女子ワールドカップとU-20コスタリカ女子ワールドカップは、映像と写真と文章をすべて仕事として売り込んで、中継局のフジテレビのお仕事をさせていただくことができ、現地取材ができました。
そのような苦労もありますが、それでも続けることで見えてくるものがたくさんあるので、今の環境には感謝しています。
なでしこジャパンが勝てなくなってしまったのは、世界、特にヨーロッパが急速に強化、発展しているからだと思うんです。日本も成長していないわけではないのに、成長スピードが違います。
日本の育成は世界に誇れるものだと思います。けれど海外のいろんなリーグを見て思うのは、普及のところがまだまだだということですね。ヨーロッパはバルセロナやマンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナルのようなビッグクラブが女子サッカーに資金を投下してるんですよ。
驚くほど恵まれた環境でプレーしている選手たちもいます。そのおかげで身体能力の高い選手たちがさらに鍛えられて高強度の運動ができるようになったり、バスケットに行くはずだった選手がサッカーに来たりという流れがあるようです。
日本は2011年女子ワールドカップで優勝して、WEリーグが開幕したのは2021年ですからね。今回、シービリーブスカップの団長は2011年に監督だった佐々木則夫さんだったのですが、「2011年の優勝後に、ブームが来ている時にプロ化できていたら良かった」とおっしゃっていて、私もそう思いました。
同じ歴史を繰り返してほしくないです。だから次に勝ったときのために準備をしておくことが大事じゃないかと思います。
「もう一度なでしこジャパンが世界一になるのを見たい」と思って女子サッカーを追い続けています。あとは、自分がプロ選手になれなかったので、どういう人がこの世界で輝くんだろう?という興味は尽きないですね。
天才肌の選手がいたり、すごく苦労して這い上がってきた選手、巡り巡ってやっとたどり着いた選手、超高校級で飛び抜けた選手、いろいろな選手がいますけど、そういう選手たちの成長を見届けたいです。
インタビューのテープ起こしをやっていると、やっぱり声ってにじみ出るものがあるじゃないですか。選手の人柄とか。そんな言葉を整理するのはライターの腕の見せどころだと思うので、好きな作業ですね。
消費されない記事を書き続けたいですね。
海外から日本に帰ってきて和食を食べるとホッとする
好きなレストランは、いろいろあります。結構和食が好きなんですよ。恵比寿の「賛否両論」というお店を紹介しておきます。
そこの「かぼすそば」が美味しかったんです。コースの締めに食べたんですが、絶品でした。海外から帰ってきた時に和食を食べるとホッとしますね。
それから火鍋も好きです。渋谷の「老麻火鍋房」が好きでたまに行きますね。辛いものは好きです。
紹介したお店
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください
松原渓 プロフィール
2002年に芸能界デビュー。小学生時代からプレーしていたサッカーの技術を生かし、2005年には芸能人女子フットサルチーム・南葛シューターズにも所属した。2006年以降はスポーツライターとしてなでしこジャパンなど、様々なチームを取材し続けている。1983年生まれ、東京都出身。
森雅史プロフィール
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。
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