味方を守りたい気持ちがあった…指導者になった森勇介が振り返る現役時代【ごはん、ときどきサッカー】

悪役イメージのある選手には2種類が存在する

片方は1人孤立しているタイプ

もう片方は友人が多く後輩に慕われるタイプ

練習中にもその選手の周りでは笑いが絶えない

 

ファンがピッチの上で見る姿と

選手が別の角度から見る人物像は必ずしも一致しない

希代の「ヒール」に見えながら細かい心づかいを欠かさない

森勇介にオススメのレストランを聞いた

 

味方選手がやられたときに怒ってやり返して…

この前知り合いが、「森勇介は警告数も反則数もあまり多くない」というデータを見せてくれたんですよ。でも少なくはないですから。

 

ただ、自分でも警告数(反則数)は少ないんじゃないかと思ってました。そんなに毎試合ファウルしたり引っ張ったりしないですから。普段からそんな怒ってるわけじゃないんで。

 

試合中も冷静にできれば一番いいんですけど、そうできなかった結果が今なんで。いまさら自己弁護するつもりもないし、カッとなったりやられたときに1回で大きくやっちゃうから、それは悪い印象として残りやすいだろうし。

 

味方選手がやられたときに怒ってやり返してたことも多くて。だってチームメイトがやられたらやり返す、って本当はダメなんですけれども、でも味方を守りたい気持ちは間違いなくありましたから。

 

2005年に川崎フロンターレに加入したとき、試合に出てないのにベンチから暴言を吐いて退場になってるんですよ。審判に何を言ったかちょっと覚えてないんですけど、「味方がやられたのに」と思って、判定に不服だったんでしょうね。

 

J3のSC相模原でプレーしてたときも、相手選手が味方の首に手をかけてきたんで、「そのプレーは危ないだろう」と思ってやり返して退場になったんです。でもそのファウルした選手は後々自分が声をかけて沖縄SVに一緒に行ったんです。「あんとき悪かったな」っていろいろ話して、「一緒にやろう」ってなって。

 

あとよく言われるのは長友佑都選手とのマッチアップでガツガツいってたところなんですけど、結構、彼もちょこちょこ手を出してきたりしてて、そうしたらこっちもやっちゃえみたいな感じになっちゃって。

 

長友選手は本当に能力高かったですね。身長が高いわけではないし技術的にはもっと上手い選手がいっぱいいましたけど、サイドバックであの推進力とあのひたむきさ、負けん気とかは、試合してて嫌でしたよ。あの当時は安田理大選手とかも台頭してて、いいサイドバックが多かったですよね。みんな日本代表になって。

 

自分が日本代表の合宿に呼ばれたときは、「ここって自分が来る場所じゃないな」と正直思いましたね。やっぱり周りの選手がうまかったですし。それに自分はずっと左ヒザのケガを持ってたんで、代表合宿に行った次のリーグ戦は出られなかったりしたし。だから2回目に呼ばれたときはあんまりプレーしてないんじゃないかと思います。

 

ヒザは高校のときに傷めたんです。半月板と軟骨が悪くて、高校時代はずっと週1回新幹線に乗って浜松の病院に通って、いつも注射をヒザに打ってもらってました。注射しないともうプレーできなかったですね。プロ1年目にすぐ手術したんですけど、そこから自分の思うような体には結局最後まで戻らなかったんですよ。

 

高校時代のヒザをケガする前のほうが、プロになってからよりも足は早かったんじゃないかと今でも思いますね。ケガしたあとはずっとうまいこと治らなくて、ヒザが思うように動かなかったですからね。筋力も左だけはどんなにやってもつかなかったし。ただサッカー選手はみんなケガを抱えてますから。

 

現役の最後のほうはケガの影響が特に顕著に表れてました。自分の思うように体が動かないからイライラしちゃう部分もあったんで。そこで感情を相手にぶつけちゃダメなんですけど。

 

いろいろやったのは事実…何を言われてもしょうがない

1999年、J1のヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でプロになって、2001年にJ2のベガルタ仙台に移籍したんですけど、仙台がJ1に昇格した2002年の途中辞めることになったんです。それは事実なんで別に何も言うことはないですけど、仙台のときは体がまだ動いてたほうだったんで、調子はよかったぶん、余計なことをしちゃったという感じです。

 

それでJ1の京都パープルサンガ(現・京都サンガ)に行って2004年までプレーしました。J2に降格してた2004年は紅白戦も出られませんでしたね。京都は自分がいた2年半で監督が5人代わりましたから、それぞれの人に合わせるのが難しかったと思います。

 

強化部の人から「J2のクラブなら移籍話があるぞ」と言われたんですよ。でも「J1にいけないんだったらサッカーを辞める」と思ってて、結局どこともまとまらなかったから年末に合同トライアウトを受けたんです。そうしたらフロンターレともう1チームに引っかかって、フロンターレに入ることになりました。

 

でもフロンターレに来た1年目は試合にほぼ出てないんです。ずっと麻生グラウンドで練習してました。ただ、それまでは試合に出てないとやる気がなくなってたのに、このときはこのクラブが最後だと思ってたんで、試合に出られないの分かってても意外にコツコツ練習をがんばってやってたんですよね。

 

その当時は試合に登録できるメンバーが16人(註:現在は18人)で、その枠に入るのが結構大変で。選手のバランスを考えたらサイドバックが入ることは少ないから、いくら練習試合で活躍しようがほぼ試合メンバーになることはなかったですね。

 

関塚隆監督にはよくしてもらったと思うんですけど、特によく声かけられることはなかったですし、練習試合では怒られてましたね。でももう本当に「ここが最後、クビになったらもう次はない」と思って必死にやりました。

 

2年目の2006年も開幕戦は先発じゃないんです。でも試合の途中で同じポジションの先輩がケガしちゃって、それで急きょ試合に出ることになったら2アシストぐらいしたのかな。調子よかったんで、そのままずっと使ってもらえました。

 

そのシーズンで28試合出ましたからね。出場停止がなかったらもうちょっと出られたでしょうね。退場はないんですけど警告を12枚もらって、累積での出場停止が多かったんです。このシーズンが一番警告が多かったんですよね。

 

2007年のシーズンは30試合出場してるんですけど、注射を週1回、ひどいときは週2回打ってプレーしてました。ずっと痛かったですね。それで2008年には大きな手術をして17試合にしか出てないんです。

 

2009年は30試合、2010年も25試合出て、そこでフロンターレとの契約が終わるんです。プレーだけの問題じゃなくて他の部分もひっくるめてアウトだったと思います。

 

フロンターレにいるときの6年間で一発退場は2回なんですけど、自分のイメージは悪かったですからね。2009年ヤマザキナビスコカップの決勝では表彰台でガムを噛んでたって報道されたのもありましたし。

 

ちょっと言い訳になっちゃうけど、負けて呆然としてるときにすぐ表彰台に上がれって言われて、自分でガム噛んでることすら分からないまま上がっちゃったんで。それは自分が悪いし、手で持ったり隠したほうがよかったんですけど。

 

表彰台でもクチャクチャしてたっていろいろ書いてありましたけど、正直もう覚えてないですね、下に降りたらメダルを外したというのもすごい叩かれました。

 

ガムは噛んでいたしメダルを外したのは事実だから反論することはないです。ただ唯一訂正したいのは、来賓の方々にも態度が悪くて無視してたと言われてたんですけど、自分は全員に両手で握手しました。

 

それで2011年から東京ヴェルディに行ったんです。ヴェルディ時代って一発退場は1回もないんですよね。ヴェルディは血の気の多い選手が多いんで、自分がやられたら、自分で行く前にもう周りがいってくれるっていうか。だから自分が逆に冷静になっちゃってたんです。キャプテンもやってたけど、あれは玉突きで自分に回ってきただけだったんですよね。

 

2014年、シーズンの途中でFC岐阜に行ったんですが、そのころはもうヒザがひどくて自分でも全然体が動いてないのが分かってました。ラモス瑠偉さんが監督だったんですけど、多分「思ってたよりも試合に出せない」と思われたでしょうね。当時の岐阜の練習場は下が固くて、そこを走るんでめっちゃきつかったし、コンディションを上げるどころじゃなかったですね。

 

それから2015年はJ3のSC相模原でプレーして、2016年から2018年は沖縄県リーグ、九州リーグの沖縄SVに行って、そこで現役を終わりました。

 

現役時代に何が一番つらかったか――ってそんなにないんですけど、やっぱりケガですね。「ヒザが痛くなかったらもっとできるのに」と歯がゆさを感じながらずっとやってたんで。

 

どうプレーすればいいか分かってるけどヒザが痛くて動けないとか、特に年取ってきてどんどんそれが顕著になって。それまでだったら苦労しなかったプレーも、「あれ? 足が出ない。抜かれちゃった」とかもあったし。自分のイメージと体のギャップがすごかったと思います。

 

つらいことって、もちろん試合出られなかったとか、クビになったりとかありましたけど、あとは別にそんなに……。ブーイングや文句とか結構言われたりするのは、あったかもしれないんですけど、それは別にどうってことなかったんで。事実は事実だから。ピッチ外ではそんなに変なことはやってないと思うんですけど、自分のことを「いい人」だとは思わないし、そこでアピールするつもりもないから。

 

正直、サッカー選手はピッチの中が全てだと思ってるんですよ。もちろん地域密着でボランティアをするみたいなことはメチャクチャいいことだと思います。けれどやっぱり選手はピッチの中が全てなんですよ。プロ選手はいくら陰でいいことやってもピッチで結果が出せなかったらクビになっちゃうんで。

 

自分はそのピッチの中でいろいろやっちゃったのは事実だから、何を言われようがそれはしょうがないんです。フロンターレはやられてもやりかえさない優しい選手が多かったし、クリーンな選手ばかりだったから、自分がやりかえしたら「何、1人で熱くなってるの?」と思われてたかもしれないけど。

 

逆にヴェルディの選手は必要以上に出て行ってくれるから自分が行かなくてもいいし、そういう意味では、結構いろんな選手がヴェルディに移籍してくるまで「怖い」というイメージを持ってるらしいんですけど、入ると人間味あって楽しいチームだと言ってくれるんです。

 

ヴェルディってあんまり見栄えはよくないかもしれないですけど、そういうアットホームに感じられるチームで、入ればみんな優しいし、人思いだし、そういう意味で好きでしたね。若い選手が結構生意気で、それが逆にかわいいし。

 

若い選手が入ってきたばっかりのころって給料も高くないじゃないですか。でも自分は試合に出てるからそれなりにお金をもらってるし、それだったら若い選手にごはん食べさせようって。

 

自分はあまり酒が好きじゃないんで、夕方ご飯食べに行くときに後輩が飲むんじゃないかと思ったら自分の車でみんな連れて行ってたし、帰りはみんな送り届けてたし。逆に飲まなくていい口実になるんじゃないかなって。

 

自分も若いころ先輩にいろいろやってもらってたし、先輩からは自分がその立場になったらお金を使ってあげろと言われてたから。

 

今はコロナ禍でそういうコミュニケーションの取り方ができないからかわいそうだと思いますね。昔は結構みんなでよくご飯食べてて、そこでコミュニケーションとれるようになって、言いづらいことも言えるようになってたかもしれないですからね。

 

 

将来は監督に…今はもっとサッカーを勉強したい

現役を辞めてから、まずヴェルディでジュニアユースの指導をやりました。もう何人かがJリーグデビューしましたね。でも、ジュニアユースからユースに上がれなくて、高校サッカーをやってがんばってプロになることが決まった選手とかもいて、そういうのを見ると本当にうれしいですよ。

 

本当はヴェルディでプロになってくれることが一番いいんですけど、ユースに上がれなかったことで奮起してくれたのかもしれないし。大したことは教えてないですけど、どういう形であっても関わった人が少しでもステップアップしてくれたらいいと思います。

 

自分はピッチ外のことをうるさくは言わないですね。もちろん挨拶や普段の生活のこと、荷物の整理整頓みたいなことを口うるさく言う人もいます。それはそれですごく大事な事です。

 

でも自分はどちらかというと、ピッチ内だけです。ピッチに入ったらかなり厳しく、技術的なことや、中1とか中2にはそこまでは言わないですけどフィジカル的要素を求めたりしますし、やっぱりメンタリティのところは、かなり厳しく言ってます。

 

技術的なところで言えば、判断が必要なプレーですね。たとえば単純に2人組でパス交換してても判断する要素はないから、相手がいる中で簡単にボールを失わないようにトレーニングするというようにしてました。

 

相手がいる中で、どういうプレーをしてしっかり味方にボールをつなぐか、どうやって相手の逆を取るか、1人だけの苦しい場面でもボールを失わないで逃げられるようにするかとか。ヴェルディはもともとそういう部分を大事にしてるから結構うるさく言ってました。

 

メンタル的なところは、試合なんかで対面の相手に負ける、自分のプレーがうまくいかない、チーム全体で負けてる、そんなときにおとなしいのは止めてくれと言ってます。育成年代は結果がすべてじゃないけど、でもJクラブの下部組織が弱かったらダメじゃないですか。負けてる選手はプロになんかなれないですよ。勝つ選手が残ってくと思うから。

 

ただどんな手を使ってもいいわけじゃなくて、偉そうなことを言うと、自分たちが技術や勝ち方を教えられるからそこで成長していってほしいと思ってるんです。それができなきゃいい指導者じゃないと思ってるから。

 

中学1年の最初のころはやっぱり相手のフィジカルが強いとか体が大きいと負けるんですよ。そうしたら子供たちは不安になるんです。「この人のやり方を続けて勝てるのか」って。そこで「今は負けてるかもしれないけど、体の成長が追いついてくれば絶対大丈夫だ」とずっと言い続けるんです。

 

それで1年経って中学2年になったら負けなくなって、「僕たちはどことやっても負けない」と自分たちで言ってたんです。そういうメンタリティになってきました。

 

子供たちが反則をしたら、そこはやらないように言いますよ。プロ選手はチームに迷惑をかけたとき、自分で責任を取れない部分もありますけど、でも結局は自分に跳ね返ってくるじゃないすか。勝てなかったら「お前のせいだった」ということで、試合に出られない、年俸ダウンやクビという形ではっきりとそういうのが返ってくる。

 

だけど中学生から汚い反則やっちゃってたら何も先に繋がらないし。指導者が責任取るのはいいんですけど、育成年代の選手がそんなことやってもいいことは一つもないんで。そんなのよりプレーで勝ってるほうが絶対いいから。

 

だから「オレの反則は絶対ダメだ」というのは伝えましたよ。「セルフコントロールをうまくできないとダメだ」ということは、自分の経験をうまく活かして子供たちに言えてるんじゃないかと思います。

 

でもヴェルディの子たちは、汚いプレーなんてほぼしないですよ、審判への文句も絶対言わないし。味方同士で言い合うのは全然OKだと思ってます。ただそれで関係が悪くなったりするのは止めてくれと言ったことはありました。

 

今は、キッズから小学6年生までスクールと、週数回、毎回は行けないんですけど帝京大学に行って教えてます。

 

スクールはサッカーがうまくなりたい子も来れば、ただ遊びに来てる子もいるんで、すごく難しいですね。サッカーがうまくなりたいと来てる子だけ教えてれば楽なんですよ。スクールに対する姿勢とかも全然違いますし。遊びに来たり、ちょっと上手くなりに来てるような子はこっちの話を聞かないし、プレーもうまくできないからめちゃくちゃ大変です。

 

ボールを触る以前の子もいるんで「しっかり体を動かそう」というところから、うまくなりに来てる子に対して細かい技術を教えるというところまでの幅がありますね。でもそれを何とかしてあげなきゃいけないから、接し方や話し方、トレーニングメニューもいろいろ考えさせられます。

 

でもそれをやったおかげで、細かい技術、ボールの触り方や触る場所なんかをしっかり教えられるようになったんですよ。そうしたら大学生のそういう細かいところまで気になるようになって、それで改善できることもありました。またいい経験ができたという感じです。

 

帝京大学はそんな強豪大学じゃないですし、推薦で取れる選手もいないので、みんな一般入学の学生ばかりなんです。やっぱり上位進出するのはなかなか難しいですけど、でもその中でも、一生懸命やってくれています。

 

ただ、学生とプロ経験者の違いがあって、学生は「自分たちはこれだけやっている」という気持ちがあるんでしょうけど、こっちはやっぱり歯がゆい部分がありますよね。メンタルの部分で変わればもっとできるのにって。

 

今、A級コーチライセンスを持ってて、将来的にはS級コーチライセンスを取りに行きたいと思います。でも今は仕事の関係でS級コーチライセンスを取る前の段階の「トライアル」にも行けてないんですよ。

 

どこかのタイミングで行きたいとは思うんですが、そんなに慌ててないです。もちろんもうこの年齢だし、自分より若くてS級コーチライセンスを取っている人もたくさんいるんですけど、でもまだここ2年間、チームマネージメントする立場にもなってないですし。

 

そういうマネージメントできる、簡単に言うと監督みたいな感じのことをどこのカテゴリーでもできればと思ってます。もちろん今の大学やスクールで仕事させてもらってることは、本当にありがたいと思ってます。ただやっぱり自分の将来の夢となると、もう少し自分がマネージメントできるところでも仕事してみたいという気持ちがあります。

 

でもまだまだ勉強中ですよ。まだ勉強不足なんで、今はもっとサッカーを勉強したいという気持ちしかないです。

 

「カプチーノ」のホワイトグラタンハンバーグが最高

最後、レストラン? そうなんですか?

 

靜岡の実家に帰ったときに行くのは「カプチーノ」という店ですね。カフェなんですけどハンバーグが美味しいんでよく寄ってます。日本平スタジアムの入り口の下のあたりにある店です。

 

靜岡でハンバーグを食べるなら、自分としてはその「カプチーノ」のホワイトグラタンハンバーグが最高です。自分はそれしか食べないですね。

 

次はサッカー関係者には定番ですけど、ブラジル料理の「バルバッコア」ですね。丸の内店が一番美味しいと思います。値段もちょっと高いんですけど、肉の質がいいんです。穴場だと思うのは虎ノ門ですね。丸の内に比べると混んでないんで入りやすいんです。もちろん「シュハスコ」を食べます。今でも肉、よく食べますよ。

 

そして3つ目は横浜の青葉台にある焼肉店「横浜ニュートン」ですね。店長が昔からすごく仲良くしてくれてるから。昔、苦しんでるときに「ご飯食べにおいでよ」って言ってくれたりということもあって。その店長は顔は怖いですが話すととても優しい人柄が好きなんです。

 

そこは「ハラミ」とか「上ミノ」が美味しいです。モツ鍋もやってるし何でも美味しいから、一度行ってみてくださいよ。

 

これで大丈夫ですか? これ載せて「ぐるなび」叩かれないですか?

 

紹介したお店

カプチーノ
〒422-0300 静岡県静岡市清水区村松624-35
1,200円(平均)
バルバッコア 虎ノ門ヒルズ店
〒105-6403 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズビジネスタワー3F

※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください

 

森勇介 プロフィール

1999年、清水東高校からヴェルディ川崎に入団。その後、ベガルタ、京都サンガ、フロンターレ、東京Vなどを渡り歩き、最後は沖縄SVでコーチ兼任として2018年まで在籍した。引退後は指導者の道を歩んでいる。1980年生まれ、静岡県出身。

 

森雅史 プロフィール

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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Source: ぐるなび みんなのごはん
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