災害時に温かい食事を提供するシェフ組織 World Central Kitchenの草の根戦略―災害時の食と栄養― 5
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レフェリーにも引退試合があったっていい…審判を統括する扇谷健司が語ったVARとJリーグ【ごはん、ときどきサッカー】
2021年、日本でも本格的にVARが始まった
レフェリーはビデオを見ている審判のアシストが受けられる
これまで多くのレフェリーが苦しんできた
誤審の恐怖はぐっと減ったと言えるだろう
Jリーグの審判を統括する立場にいる...
あのとき自分は終わったなと思った…ハーフナー・マイクが語るサッカー人生の選択ミス【ごはん、ときどきサッカー】
大型FWでありテクニシャン
少年時代から注目され続けた選手は
プロ4年目で人生の岐路に立った
そしてそこから逞しく羽ばたき始める
ヨーロッパでの経験を積んで
日本に帰ってきて思い出のクラブに再入団
そこで現役を終えるか...
もしあの試合の前に戻れたら…兵働昭弘が悔やむ長谷川健太監督との最後のシーズン【ごはん、ときどきサッカー】
清水、柏、千葉、大分、水戸、甲府
現役時代にいくつものクラブを渡り歩いた
それぞれのチームで献身的なプレーを見せ
信頼を勝ち取っていった
いろいろなチームでキャプテンを務めたことは
人望が厚かったことを物語る
プレーと...
僕は自分の考えを押しつけていた…なぜ柿谷曜一朗はセレッソを去り名古屋へ来たのか【ごはん、ときどきサッカー】
試合後のオンラインの記者会見が始まった
いつもは陽気な選手が前を見たまま表情を変えることなく
淡々と記者たちからの質問に答えていく
その様子からは勝敗すら読み取れない
大阪で生まれた男が大阪を出て
新たな場所で信頼...
僕はいつの間にか孤立していた…鄭大世は怒りと挫折にどう向き合ったのか?【ごはん、ときどきサッカー】
ガラス張りの性格で明朗快活
ストライカーとして数字も残してきた
2020年に一度は引退を考えながら
ギリギリでチームが決まり現役を続行する
2021年はケガにも泣かされた
はたして現役続行の意欲はあるのか
動向が気にな...
日本人は自分が考えていることを言わない……27歳で初めて日本代表になった高木和道の後悔と夢
©Miki SANO
2008年、188センチの大型DF高木和道の人生は急にスピードアップした
長谷川健太監督の下で順調にレギュラーを獲得していた高木に
西野朗監督が率いるアジアチャンピオンからオファーが届く
さらに岡田武...
佐賀空港経由でサガン鳥栖戦を観に行くのも意外に楽しいよ!アウェーサポにおすすめしたいグルメ&観光まとめ【ごはん、ときどきサッカー 特別編】
©浦正弘
私の故郷・佐賀県には「サガン鳥栖」というJリーグのチームがあります。ホームスタジアムは「駅前不動産スタジアム」、略して「駅スタ」。
元々JR鳥栖駅の操車場跡地に建てられたスタジアムなので、駅から近くてとても便利...
「どんなことをしても売れたい子」には先がない…野田義治の生き方と芸能人女子フットサルの盛衰【ごはん、ときどきサッカー】
芸能人女子フットサルの会場に現れ
気難しい顔をしながらコートを眺め
話しかけられると一転笑顔になって
相手の相談に乗る有名人がいた
目の前の利益だけを追い求めたりしない
ロングスパンで物事を見てタレントと勝負しつつ...
ドーハへ行って人生が変わった…ピッチリポーター・岩澤昌美はなぜサッカーを仕事にしたのか【ごはん、ときどきサッカー】
かつて日本サッカーで一番盛り上がるのは
全国高校サッカー選手権だった時代があった
すべての高校サッカープレーヤーの憧れ
「ふり向くな君は美しい」の演奏と高校生たちの涙
時代は変わりクラブユースが盛んになった今も
高...
サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか…金子勝彦と伝説的サッカー番組の舞台裏【ごはん、ときどきサッカー】
Jリーグができる以前
日本サッカーリーグのテレビ放送は年間に数回だった
そんな時代に週1回、海外サッカーを紹介し続けた番組があった
「三菱ダイヤモンドサッカー」は日本のサッカー放送の礎だった
いつもにこやかな温かい声で実況...