ライターの小野洋平です。
最近、久しぶりに出社をした。というのも、昨年から続くテレワークにより、オフィスに行く頻度がめっきり減ったからだ。
弊社の最寄り駅はJR水道橋駅。水道橋といえば東京ドームやラクーアのほか、数多くの企業や大学が集まる賑やかな街である。駅前には飲食店が並び、街中にもカフェや居酒屋が点在している。筆者の行きつけもたくさんある。……いや、あったというべきかもしれない。
数ヶ月前とは変わり果てた駅前の風景に、背筋が寒くなった。多くの飲食店が看板を下ろし、一等地にあるビルはテナントが丸ごと撤退していた。「テナント募集中」の張り紙の多さが、事態の深刻さを物語っている。
ここ1年、東京ドームでのイベントの多くが中止または縮小に追い込まれた。企業の業務や大学の授業もリモートになった。街に人が減った影響をもろに受けた飲食店の窮状が、街の姿に表れていた。
その一方で、オフィスまでの道中には新しくオープンしたお店もいくつかあった。この厳しい状況のなかでの船出は、かなり難しい決断だったろう。心からエールをおくりたいし、実際になるべく足を運んで貢献したいが、駅前の現状を知ってしまうと心配でもある。
そこで、この状況下にあえてオープンした理由やその思いを店主に聞いてみることにした。
パワースポットのようなお店を目指す「鯛担麺専門店 恋し鯛」
最初に訪れたのは、オフィスから程近いラーメン屋「鯛担麺専門店 恋し鯛」。
「鯛」の出汁から作った担々麺(鯛担麺)が名物。そして、フレンチ一筋だったシェフが「ラーメンに恋をした」ということで、この店名になったそう。
オープンは2020年7月7日。1回目の緊急事態宣言が解除された約2ヶ月後だ。一時は2ケタ台にまで減った1日の新規感染者数がじりじりと増え、“第2波”の真っ只中という状況だった。
――当時はいったん収束しかけた感染の波が再び拡大し、多くの人が「長期戦」を覚悟したようなタイミングだったかと思います。そんな状況下でのオープンは、難しい決断だったのではないですか?
足立さん:あの頃は今以上に世の中がどんよりしているように感じていました。それもあって少しでも明るいニュースを届けたいと思ったんです。もちろんリスクはありますが、私たちのお店で元気になってもらいたいという一心でオープンを決めました。
――ただ、当時は東京ドームの巨人戦も無観客(7月11日から上限5,000人で開催)で行われていましたし、コンサートなどもほぼ中止でした。大学や企業もリモートに切り替わるところが多く、本当に厳しい状況でしたよね。本来なら見込めたはずの集客が、ほとんど期待できないという……。
足立さん:当然、出店にあたっては市場調査をしていて、「ここならいける」と判断したのですが……。正直、ここまで長引くとは思っていなかったです。だからこそ、こんな時でも来ていただけるお客様一人ひとりを大事にすることを、スタッフ一同、心がけました。
――オープン当初の客足はいかがでしたか?
足立さん:有難いことに、たくさんのお客様に来ていただきました。オープン当初は、行列ができていたほどです。ただ、テレワークが普及するにつれて、徐々にお客様も減っていきました……。
――当時はどんな心境だったんでしょうか?
足立さん:不安よりも「やってやるぞ!」という気持ちでいっぱいでした。私の人生のテーマが「人を笑顔にすること」なので、こんな時ですけどとにかく明るいお店にしようと(笑)。会話でのコミュニケーションが難しい状況ですが、笑顔や短い言葉だけでも伝わるものはあると思うので。一方で、席数の制限や仕切りを細かく設けたりと、お客様を不安にさせないためにも感染対策を徹底しました。
――確かにスタッフさんも楽しそうに働いていて、すごく雰囲気がいいなと思いました。あと、何よりラーメンがうまい! この近辺にはあまりないタイプのラーメンなので、個人的にも嬉しいです。
――オープンから1年弱が経ちます。未だ厳しい状況かと思いますが、現在の客足はいかがですか?
足立さん:オープン時から足を運んでくださる常連さんもいらっしゃいますし、ここへきて新規のお客さんも増えてきた印象です。学生さんや会社員のお客様が減った代わりに、近所にお住まいの方が来てくださるようになりました。
――こういうタイプのラーメン、初めて食べたけどとても美味しかったです。あと、足立さんがエネルギッシュでこっちまで元気になれました。
足立さん:ありがとうございます。私はこの店を“パワースポット”にしたいんですよ。
――パワースポット??
――明治神宮の清正井(きよまさのいど)みたいにしたいってことですか?
足立さん:いえ、そういう意味じゃなくて(笑)。ここに来たら元気になれるような、エネルギーあふれる場所にできたらいいなと思っています。これからもお客様により喜んでいただけるお店になれるよう、ラーメンも接客もさらに磨いていきます!
紹介したお店
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。
地域と協力して生き残りをはかる「立ち飲み日本酒5。5坪」
続いて訪れたのは、オフィスから徒歩1分の居酒屋「立ち飲み日本酒5。5坪」。
店名の通り、全国の地酒が立ち飲みスタイルで味わえる。筆者もテレワークになる前はよく通っていたが、オープンの経緯などは知らない。そこで、久しぶりの来店ついでに、お話を聞いてみた。
――お久しぶりです。なかなか来られなくてすみませんでした。
市道さん:いえいえ、お久しぶりです。元気にしていましたか?
――はい。そういえば、外にお花が出ていましたが……?
市道さん:先日、お店の1周年だったんですよ(オープン日は2020年3月23日)。まともに営業できない1年間だったのに、お客様からお祝いのお花をいただけるなんて……。頑張ってきたかいがありました。
――おめでとうございます。もう1年が経つんですね……。
市道さん:そうですね。1回目の緊急事態宣言が出る直前のオープンでした。そのあとすぐに休業要請が出て、2週間しか営業できずに休みましたよ(笑)。
――そうでしたね。ちなみにお店のオープンを決めたのは、いつごろだったんですか?
市道さん:2020年の1月にここの物件を契約しました。そのときは「中国で伝染病が流行っている」というニュースは出ていましたが、そこまで心配してませんでした。それが、まさか今日まで尾をひくとは微塵も思っていなかったです。
――物件を契約した時点から急速に状況が悪化し、3月の時点ではかなり深刻な事態になっていたと思います。オープンを延期しようとは思いませんでしたか?
市道さん:じつは一度はオープンを延期しているんですよ。もともと3月の頭からスタートする予定で準備していました。ただ、状況が状況だっただけに先延ばしにしていたんです。当時は毎日ほんとに悩んでいましたよ。
――感染拡大の様子を見ながら、機をうかがっていたわけですね。
市道さん:はい。しかし、日に日に状況は悪くなっていく一方。収束を待っていたら、いつオープンできるかがわからないなと思ったんです。それで、思い切って3月23日からスタートすることにしました。
――水道橋に決めた理由はありますか?
市道さん:特に理由はなかったです。ただ、東京で勝負してみたかったのと、千葉の船橋に姉妹店「2。2坪」があったので、同じ総武線の沿線で探していたんです。錦糸町や秋葉原でも探したんですけど、最も条件に合う物件がたまたま水道橋で見つかったので決めました。
――せっかくいい物件も見つかり「これから」という時に休業を余儀なくされて……。いきなり出鼻をくじかれて、どんな心境だったんでしょうか。
市道さん:時間はかかるだろうけど、少しずつお客さんも来てくれるようになると思っていました。だから、とりあえず1年間は頑張ってみようと。それに、姉妹店の「2。2坪」は地元のお客さんが中心ですが、東京に職場がある人が多く、こちらにも足を運んでくださるんじゃないかという期待もありました。
――最初から常連がいるようなものですもんね。ということは、オープン当初の客足も……。
市道さん:ところが、全然ダメでした(笑)。人通りが少ない立地ということもあって、かなりヒマでしたね。でもまあ、認知されるまでに時間はかかると思っていたので、気長にやろうと。そこまで心配していなかったですよ。
――ただ、コロナ禍という逆風のなかで認知を広げることは容易ではなかったと思います。状況が好転するまで、しばらく休業するという選択肢はなかったんですか?
市道さん:それはなかったですね。基本的に「お店は休んだら死ぬ」と思っているんです。たとえ売り上げがゼロでも、飲食店は営業し続けることが大事なんですよ。
――どうしてですか?
市道さん:休むと忘れられてしまうんですよ。昨年からテレワークに切り替わる会社が増えて、週に1回しか出社しないという人も増えました。でも、その1回の機会にふらっと店に立ち寄ってくださったときに、閉めていたら申し訳ないじゃないですか? だから、2回目の緊急事態宣言では時短営業にはなりましたが、店は開けていました。いつ来ていただいても大丈夫なように、そして忘れられないためにそうしたんです。
――休んでも休業補償が出るならいいじゃないか、という声もありましたが、そんな単純な話じゃないですよね。それでお客さんが離れてしまったら、飲食店としては取り返しがつかない損失になってしまいます。
市道さん:特にこのエリアは、いま厳しいんです。東京ドームのイベントは中止、大手企業はテレワーク、大学は休校と、人が一気にいなくなりましたから。おまけに、お店がある神田三崎町は人口が少ないので、地元のお客さんもあまり期待できない。
――それに、このあたりの飲み屋って、野球やイベント終わりの21時~23時くらいまでが一番のかき入れ時ですもんね。たとえイベントが復活したとしても、20時までしか営業できなかったら、そのお客さんをごっそり失うことになってしまう……。
――厳しい状況のなか、何か工夫したことはありますか?
市道さん:いろいろやりましたよ。例えば、期限付きで酒類のテイクアウトが可能になったので、日本酒の量り売りを開始しました。また、認知してもらうために、チラシ配りやSNSでの発信も頑張りましたね。あとは、町内会に入っていたことも大きかったと思います。
――お店が町内会に入るって珍しくないですか?
市道さん:そうかもしれません。でも、この地域でやる以上、町内会との交流は必要だなと思っていたので。オープン前は、街の人と仲良くなるために図書館で「神田三崎町」についてひたすら調べていましたよ(笑)。その結果、地元のみなさんやお客さんと情報交換もできましたし、ご近所の方々が心配して来てくださったりもして。とても心強かったし、助けていただきましたね。
――地域に馴染むための努力……。おろそかにしがちだけど、大事なことですね。
市道さん:そう思います。他にも、業態が近い近辺の立ち飲み居酒屋、日本酒居酒屋に飲みに行きがてら挨拶回りをしました。ちゃんとお店のタオルも持っていってね。
――律儀ですね。そこまでしていたとは……。
市道さん:やはり、地域の同業者とは潰し合うのではなく、一緒に戦って生き残っていかないといけませんから。そのおかげで、オープンから数ヶ月後には他店との“コラボ”も実現しました。店の前の通りにはうちのほかに、天ぷらそば屋の「とんがらし」さんと九州居酒屋の「博多かわ屋」さんがあります。この3店舗内での「持ち込み」を自由にしたんですよ。当時は、うちで日本酒を飲みながら、とんがらしさんから持ち込んだ天ぷらを食べるお客様がけっこういましたよ。
――僕はとんがらしの天ぷらが大好きなので、またやってほしいです!(※2021年4月現在、とんがらしは休業中⇒6月テイクアウトを再開)
市道さん:今の時代、自分のお店だけではなかなか生き残っていけません。特に人通りの少ないエリアは厳しいですね。だからこそ地域に根付き、地域の仲間と一緒に支え合っていかないといけないんです。
――夏以降の下半期はいかがでしたか?
市道さん:少しずつ認知されたのか、かなり調子は良かったです。水道橋本来のポテンシャルを考えるとまだまだかもしれませんが、リピートや口コミのお客様、あとはわざわざ調べて来てくださる方もいました。夏場を過ぎたあたりで黒字に転換して、なんとか勝機を見いだせましたね。
――地道な取り組みが実ったんですね。素晴らしいです……。
市道さん:これだけの悪条件が重なったなかで売り上げが出たのは自信になりました。この状況、この場所で戦えたら、どこでだってやれるなって思いますよ。まだまだ我慢が続きますが、いつか日常が戻れば、もっとお客様は来てくれると信じています。
市道さん:日本の酒蔵も経営が苦しくなっていて、廃業が増え続けています。このまま「国酒」がなくなっていくのは、とても寂しい。ですから、1杯500円の立ち飲みスタイルで、日本酒の美味しさを気軽に知ってもらえればと思っています。酒蔵がつくる日本酒以外のお酒やおつまみもご用意していますし、お米農家の酒米も売っています。微力ではありますが、酒蔵や農家の廃業を食い止める一助になれたら嬉しいですね。
紹介したお店
立ち飲み日本酒5。5坪
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2件のお店を訪れた数週間後の4月25日、3度目となる緊急事態宣言が4都府県に発令された。今回は時短要請に加えて酒類の提供自粛要請も出ており、居酒屋やバーにとっては死刑宣告に等しい。「5。5坪」も、今回ばかりは休業を余儀なくされた。「忘れられるのが怖い」という市道さんの言葉を思い出す度、胸が締めつけられる(6/18追記:5。5坪は宣言解除に合わせて営業再開予定です)。
コロナ禍というかつてない逆風のなかでオープンし、工夫や情熱でなんとか乗り越えてきた飲食店。その努力が無に帰すようなことは、あってはならないと思う。かといって僕には何もできないのだが、せめて再開後はすぐに大好きなお店に足を運びたい。
著者プロフィール
小野洋平(やじろべえ)
1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服が作れず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。
http://yajirobe.me/
Twitter:@onoberkon
編集:榎並紀行(やじろべえ)
Source: ぐるなび みんなのごはん
「なぜ、今だったのか」 コロナ禍での新規オープンを選択した飲食店に、ここ1年の苦闘について聞いた