極辛カレーの登場
アカシアの人気メニューの一つである「極辛カレー」は、今から30年ほど前に二代目の鈴木康太郎さんによって産み出された。
旅行先のインドで出会ったカレーに衝撃を受けた康太郎さんは、帰国してすぐに独学でインド風のチキンカレーを作り上げた。今のようにどれだけでも本場のレシピが手に入る時代ではない。しかしこの極辛カレーはものの見事に正統派のインドカレーだし、しかもそれが洋食屋の一品としても違和感のない、スマートな味わいにまとめ上げられている。
「30年前にこれを作って出すってすごいいですね」と私が感嘆すると三代目の祥祐さんはこともなげに「そうですかね。だって中村屋さんなんてもっと昔からやってたでしょう」と言うが、あちらは最初からインド人が関わった専門店である。比較基準がそこ、というのがまた痛快だ。確かにこのカレーには中村屋にも通じる本格感と洗練が同居している。
洋食屋のカレーは、あらかじめスパイスがブレンドされた「カレー粉」を使うのが普通だ。ちょっと凝った場合でも、それをベースに単体のスパイスが足されるような作り方。しかしこの「極辛カレー」にはカレー粉独特の風味がまったく感じられない。そのことを問うと祥祐さんは、「最初はわけもわからず作ったんでしょうね。ありったけのスパイス17種類をああでもないこうでもないと組み合わせてオリジナルのガラムマサラ的なものを完成させたみたいです。インド人に言わせると『スパイスの種類を使いすぎ』ってことになるんでしょうが」と笑う。
康太郎さんの料理人としての凄みと同時に、祥祐さんの現代的にアップデートされたインドカレー知識にも脱帽だ。
康太郎さんはもちろんこのカレーだけでなく、いくつもの人気メニューを開発した。また、料理家として一般向けのレシピ本などにも携わった。そんな康太郎さんのオリジナリティあふれる作品を一つ紹介しよう。それが、アカシアで生野菜とともに提供される「りんごドレッシング」だ。
すりおろし玉ねぎのドレッシングは洋食屋の定番で、そこに隠し味的にりんごが加えられることはあるが、このドレッシングはその主従が逆転しており、あくまでりんごが主体。紅玉とふじの酸味を生かし、酢もりんご酢。そこに玉ねぎやセロリなどの香味野菜と蜂蜜が加えられる。これもまた「ここにしかない味わい」の逸品だ。
本場のソーセージやビールがやってきた
このように親子三代で紡がれてきたアカシアであるが、ここでもう一人、言うなればトリックスタア的人物が登場する。鈴木邦彦さん。邦三さんのもう一人の息子、つまり祥祐さんにとっては叔父にあたる。
邦彦さんは大手ハムメーカーに就職した後、マイスターの資格を得るために本場ドイツに渡った。
「そして結局行ったっきり帰ってこなかったんですよ。むこうで結婚しちゃって」と、祥祐さんは笑う。
この邦彦さんが、ドイツに居を構えながら時折帰国してアカシアに伝えたのが本場のハムやソーセージ。これがロールキャベツや洋食メニューと並んでアカシアの大事な柱となった。
私がこのアカシアで必ずと言っていいくらい注文するメニューが「釜揚げソーセージのグリル」だ。言うなれば豚肉のパテで、ブリッとした絹ねりの小気味良い食感の中に粗挽き豚の食べ応えが混ざり、マスタードや香味野菜の風味が、熟成感のある凝縮した肉の旨みに華やかさを添える。
初めてこれに出会った時、私はそのうまさに感激しつつ「なぜ洋食屋にこんなメニューが?」とずいぶん訝しんだものだったが、これもまさに邦彦さんの仕業だったというわけである。
邦彦さんは他にもスパイシーなチキンソーセージや、シンケン、リオナ、ズルチェ、レバーケーゼといったドイツ本場の味わいを次々とアカシアにもたらした。一時期はそれらを日替わりで銀盆に何種類も並べて客席を回るというプレゼンテーションも行われた。もちろんそれも邦彦さんがもたらした本場流のレストランサービスである。
それだけではない。邦彦さんがドイツに輸入ルートを作り、アカシアは樽詰のドイツビールを導入した。ここに来てついに
名物ロールキャベツ+正統派洋食+ドイツ風ビアホール
という、他に類を見ない独特のアカシアスタイルが完成したというわけだ。
結果論で言えば、洋食ともドイツ料理ともどちらとも言えるロールキャベツがその両者の橋渡しをするという、まるで最初から計算づくであったかのような業態コンセプトの構造になっているのが見事である。
雑多な町で、多彩な楽しみ方を
コロナ禍は多くの飲食店に暗い影を落としたが、それはアカシアとて例外ではなかった。夜は特に、食事需要のお客さんを低単価で高回転させることに集中するしかなく、ドイツビールやワインのつまみである邦彦さん直伝のソーセージ類は執筆時点でまだ復活待ちだ。
そんな中、祥祐さんはロールキャベツやカレー、ドレッシングなどの冷凍通販に力を入れるという経営手腕を発揮した。
コロナ前のアカシアは、新宿という場所柄もあり客層の幅広さがまたお店の魅力でもあった。会社帰りにふらりと立ち寄るビジネスパーソンは、老若男女を問わず一人客も多かった。もちろんグループで賑やかにビールやワインを楽しむ人々もいた。その中にはこれから歌舞伎町に繰り出すご陽気さんもいたし、そこにこれから出勤する側の華やかな夜の住人たちも。
「経営的にはダメなんですよね。ターゲットを絞り切れていないってやつで」と、祥祐さんは辣腕経営者らしいことを言う。
「でもそうやって、いろんな人たちがいろんな楽しみ方をできることもこの店の良さなんじゃないかと思って」
これには私も全く同感である。コロナが収束すれば、そんなある種カオスなアカシアがまた戻ってくるだろう。
同感といえばもう一つ。ロールキャベツの話をしているときに、祥祐さんが面白いことを言っていた。
「日本におけるロールキャベツの歴史を調べてたんですが、一番古いものは明治時代の家庭向け料理本でした。そこに書かれているのはコンソメ味でもトマト味でもなく、ウチと同じ、小麦粉のルーで仕上げるもの。バターかラードかという違いはありますが、このロールキャベツこそが正当なルーツの継承者だってことがわかりました。今後はそういう部分もちゃんとアピールしていきたいなと」
これは僭越ながらまさに「我が意を得たり」であった。
世の中の洋食屋は、あたりまえにおいしいものをあたりまえのように粛々と提供し続け、お客さんはそこに安心感とノスタルジーを求める、そんな閉じた循環に収まってしまいがちだ。それは確かにストイックで美しい世界かもしれない。しかし同時にそれだけではもったいないと私は思う。洋食が持つ豊穣な物語は、もっと語られるべきである。とりあえず新宿に来れば(あるいは通販を利用すれば!)日本のロールキャベツ史におけるルーツに出会えるのだ。
そしてそれは今も、新宿という雑多な街で、さまざまな人々を魅了し続けている。
紹介したお店
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです
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著者プロフィール
鹿児島県出身。京都大学卒業後、食品メーカー勤務などを経て円相フードサービスを設立。多ジャンルの飲食店を経営する傍ら、食文化に関する著書も手がける。最新刊に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社刊)
Source: ぐるなび みんなのごはん
激辛カレーに正統派洋食、ドイツ風ビアホール…雑多な街で人々を魅了し続ける、新宿「アカシア」の60年〔後編〕