極太のスパゲッティをトマトベースのスパイシーなソースで食べる、東海地区の不思議な洋食系ローカルグルメ「あんかけスパ」。
この記事は、一時期の名古屋めしブームやB級グルメをきっかけに全国的にも知られるようになった、このあんかけスパの本当のスゴさを知るための「あんかけスパの楽しみ方入門」です。
まずはあんかけスパにまつわる数々の「誤解」をとくところから始めましょう。実際に味わう前に知っておきたい、地元民も知らないあんかけスパの真実を!
あんかけスパはB級グルメなのか?
あんかけスパは脂ギトギトで濃い味のジャンキーな食べ物と認知されがちです。それは本当なのでしょうか? たしかにあんかけスパにおいてラードの風味は欠かせない要素であり、味の要であるソースはトマトの酸味や黒胡椒のスパイシーさが際立っています。
しかし「油脂と味の濃さ」だけをもって「ジャンク」と決めつけてしまうなら、クラシックなフレンチも四川料理も北インド宮廷料理も全部ジャンクということになってしまいます。
実はあんかけスパのソースは、古い西洋料理の技術を受け継いだものです。香味野菜、トマト、牛肉などの旨味を長時間かけてじっくり抽出したものがその味の正体。いわば老舗洋食店秘伝のデミグラスソースにも比肩しうるもの。「あんかけ」という庶民的すぎる呼称のイメージに引きずられることなくそれをじっくりと真剣に味わうことで、あなたはきっとその真価に気づくはずです。
あんかけスパの麺は「ソフト麺みたい」なのか
あんかけスパの麺は、あらかじめソフト麺のように柔らかく茹で置かれたものが油で炒められている、と説明されることが少なくありません。しかし実際にそういう柔らかい麺を提供する店は皆無とは言わないまでもごくごく少数です。実際は、直径2ミリを超える極太のスパゲッティがまずはかなり硬めに下茹でされます。その状態ではアルデンテどころではない硬さです。それをしばし寝かせて、水分が均等に行き渡った状態のものを、ラードでコンフィのようにしっかり再加熱されたものがあんかけスパの麺です。この工程により、パツパツとした歯切れの良さ重視のアルデンテでもなく、生パスタやうどんのようなニチッとした食感でもなく、ブリッとした最初の歯応えからもっちりとした噛み心地に続く独特の食感と、ソースとの絡みが抜群な表面のテクスチャー、そして香ばしさが生まれるのです。
あんかけスパはイタリアンのパスタとは無関係の創作料理なのか?
あんかけスパのルーツを辿っていくと最後、高級ホテルなどのフレンチレストランで提供されていたイタリア風料理にたどり着きます。それがさらに日本人シェフによって改良されたものがあんかけスパ。そういう意味では確かに本場イタリアとの直接的なつながりは薄いと言えるかも知れません。
しかし、実はイタリアのパスタも時代によって大きく変遷しています。かつてイタリアのスパゲッティは今よりずっと太いものでした。茹でるのに時間がかかるため、あらかじめ茹で置かれるのが普通。またオリーブオイルの工業的な搾油技術が確立する前は、むしろラードがよく使われていました。また家庭においては特に、肉をトマトや香味野菜で煮たときの残り汁がソースとしてしばし転用されました。こういった昔のイタリアにおけるスパゲッティの姿は、現在のあんかけスパと奇妙な付合を見せています。
あんかけスパを代表するメニューは「ミラカン」なのか
あんかけスパの上に、玉ねぎ、ピーマン、マッシュルームなどの野菜と、ソーセージ、ハム、ベーコンの細切りを炒めた物がトッピングされたものが「ミラカン」。現在のあんかけスパを代表するものとみなされているメニューです。かつては数あるメニューの一つに過ぎなかったこのミラカンがなぜいつの間にかこんなにもクローズアップされることになったのか。理由はいくつか考えられますが、その最も大きな理由の一つがスパゲッティナポリタンとの類似性ではないかと私は考えています。
1990年代、一時は本格パスタに押されて衰退の一途を辿ったあんかけスパはその後「ローカルなB級グルメ」として奇跡の復活を果たします。この過程において「赤ウインナー」が具の主役であるミラカンはそのキッチュな魅力で大きな貢献を果たしました。
しかし、単なるB級グルメではなく古き良き西洋料理の末裔としてあんかけスパをとらえたときに、個人的にはミラカンは最良の選択とは思えないのも正直なところです。正統派のあんかけスパ店には、伝統的かつ高品質な洋食メニューがトッピングとしてひっそり目立たず用意されているものです。それを見つけ出すのはあんかけスパにおける大きな楽しみなのです。
それではそんなあんかけスパの名品を、名古屋駅からもアクセスの良い名店で実際に味わっていきましょう!
【老舗編】スパゲッティ・ハウス ヨコイ
今に至る主流のあんかけスパのレシピを最初に考案した横井博シェフが、そのレシピを引っ提げて1963年にオープンさせたのが「スパゲッティ・ハウス ヨコイ」。その一番新しい店舗が名古屋駅直結のKITTE名古屋地下にあります。歴史ある本店のおいしさをそのまま受け継いでいるだけでなく、そのソースや麺のクオリティの安定感は本店にも負けない見事さ。
この店で私がいつもオーダーするのは「ミートボール」という、肉厚のハンバーグが3個と、さらに目玉焼きものったワクワクするようなメニューです。
現在ヨコイ全店を取り仕切る「三代目」横井慎也さんによると、このメニューは豚肉の黄金焼きをトッピングした「ピカタ」と並び、常連さんに人気のメニューとのこと。観光客や慣れていないお客さんはやはり有名な「ミラカン」を選ぶことが多いようですが、昔からのお客さんの中には「これしか頼まない」という方も多いそう。このハンバーグはそれも納得の逸品です。単なるトッピングの域をはるかに超えています。合挽き肉をねっちりと練り上げたこのハンバーグは、最近主流のふわふわ肉汁系とは一線を画した、それ自体が肉肉しい旨味と心地よい弾力のクラシック洋食スタイル。ナツメグの高貴な風味もたまりません。
私はいつも、まずは麺には手をつけずこのハンバーグ単体にスパイシーなあんかけソースを少し絡めていただきます。肉とソテーオニオンの甘さ、そしてナツメグの風味がぎゅっと詰まったハンバーグと、野菜と黒胡椒の味わいが凝縮したソースの組み合わせは、もうその時点で完璧なマリアージュ。思わずビールが進みます。創始者の横井博シェフは名古屋トップクラスの国際ホテル(旧丸栄ホテル)などを経た筋金入りの洋食シェフでした。その技術とこだわりが今も綿々と受け継がれていることが、この時点で明瞭です。
そして麺。日本最古のパスタブランドである「ボルカノ」による特注麺は、デュラムセモリナと強力粉がブレンドされたもの。標準茹で時間は16分のところを12分で固茹でされた麺は90~120分程度寝かされた後、フライパンで炒められます。最初はたっぷりのラードでコンフィのようにゆっくりと加熱された後、いったん脂を切ってチンチコチン(注*名古屋弁で「熱々」の意)に焼き付けられることで、「逆アルデンテ」とでもいうべき独特の食感と香ばしさをまとうのです。あんかけスパを食べるときは、ぜひ麺の一部はソース無しで麺だけを食べてみてください。ラードの香ばしい風味が香るモチモチの麺は、もはやそれだけで料理として完全に成立しているおいしさです。
そこまで味わったら次はいよいよその麺をあんかけスパの魂であるソースにたっぷり絡ませていただきます。あんかけスパのソースは往々にしてその辛さや味の濃さで語られがちですが、それはあくまで表面的な特徴。その土台となるソースのベースは各種の野菜と牛肉を2日がかりでじっくり火入れした後、なんと1週間熟成させて初めて完成します。この1週間で肉と野菜の旨味はさらに一体感を増しつつ凝縮すると共に、黒胡椒の刺激的な辛味はいったん落ち着き、奥深い風味を醸し始めます。ヨコイのソースにたっぷり使われた黒胡椒が、単に刺激的なだけでなく奥深い旨味に「化けて」いることが、私は昔から不思議でしたが、それはどうもこの熟成期間にも秘密がありそうです。
あとはひたすら無我夢中で喰らうのみ。おっと、そのときには目玉焼きも名脇役として素晴らしい働きをします。目玉焼きのトロッとした黄身を崩したら、これもまたなるべくソースを絡めず麺だけで食べてみてください。このとき、さらに私がお勧めしたいのは別皿で提供される「粉チーズ」の追加トッピングです。すなわち「スパゲッティ・ポヴォレッロ」が皿上で完成する名古屋版。よけたはずのソースが麺の端に少し絡まってくるのがかえって嬉しい、あんかけスパならではの楽しみです。
粉チーズは有料ではありますが、一般的な紙筒に入った乾燥パルメザンとはやはり段違いのおいしさ。もちろんハンバーグとの相性も抜群です。日本人なら誰もが憧れたことのある『カリオストロの城』のミートボールスパゲッティの気分を味わいたい方もぜひ!
あんかけスパのソースは「濃すぎる」と評されることもあり、それがもしかしたらあんかけスパがB級ジャンクフードであるという誤解につながっているのかもしれません。しかし、いきなり全部を混ぜて均一な味にしてしまうのではなく、こんな感じでメリハリをつけながら楽しむとその味わいは何倍にもなります。麺だけ、ソースたっぷり、ソースちょびっと、トッピングと合わせて、全てをミックスして、そんな感じで珠玉のソースを自由自在に運用していくのがあんかけスパをMAX楽しむコツ。同じような楽しみ方は「ミートボール」と並ぶ常連さん人気メニュー「ピカタ」でも可能です。
そうやってあんかけスパに真剣に向き合うと、そこには一人の天才シェフの並々ならぬこだわりと、それを受け継いだ職人たちの矜持に溢れた「もう一つの日本洋食」としてのあんかけスパの本当のスゴさがあなたの前に姿を表すのです。
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著者プロフィール
鹿児島県出身。京都大学卒業後、食品メーカー勤務などを経て円相フードサービスを設立。多ジャンルの飲食店を経営する傍ら、食文化に関する著書も手がける。最新刊に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社刊)
Source: ぐるなび みんなのごはん
地元民も知らないあんかけスパの真実、そして老舗の本当のスゴさ【スパゲッティ・ハウス ヨコイ】